その9(2011年8月~2011年11月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その9(TOP-HAT Newsから)

 2011年8月から11月までのTOP-HAT News(第36~39号)です。この年の世界エイズデー国内啓発キャンペーンのテーマは「エイズとわたし」でした。
 《どこかでエイズの流行と触れあっている「わたし」。すれ違ったかもしれない「わたし」。だれが何を支え、何を防ごうとしているのか。いろいろな人たちの「エイズとわたし」を聴いてみたい。そして、語りたい》
 本当に、だれが何を支え、何を防ごうとしているのでしょうね。治療の進歩が予防にも役立つことが喧伝され、何年かの経験を経て「でも思ったほど新規感染は減っていかないね」という壁に世界が直面している現在も、依然として、というかますます大きな課題となっています。3か月後の第39号には次のような指摘もあります。
 《治療の普及には、予防対策上の効果も期待できる。このことも報告書には強調されています。「予防としての治療」に関しては医学的エビデンスが提示される一方で、社会的な観点を含めて考えた場合の実効性や効果に対する懐疑論も指摘されています。ただし、治療の普及を支える対策資金の増額がなければ、そうした議論はそもそも成り立ちません》
 現時点ではそもそも・・・どうなんでしょうか。

エイズとわたし(第36号 2011年8月)

 12月1日の世界エイズデーを中心にした国内エイズ啓発キャンペーンのテーマが今年は「エイズとわたし ~支えることと 防ぐこと~」に決まりました。エイズ情報ネット(API-Net)に厚生労働省の《平成23年度「世界エイズデー」実施要綱》が掲載されています。
http://api-net.jfap.or.jp/

 実施要綱には、どうして今年のテーマが「エイズとわたし ~支えることと 防ぐこと」なのかということはあまり説明されていません。この点を補足するかたちで、エイズ&ソサエティ研究会議のHATプロジェクトのブログには、《キャンペーンテーマについて》というタイトルでボディコピー(テーマを補完するメッセージ)とコンセプトシート(テーマの考え方に関する説明文)を掲載しました。今年度のテーマ策定にかかわったHIV/エイズ分野のNPO関係者が、厚労省によるテーマ決定の後で、策定プロセスの説明を交え、作成した文書です。非公式なものではありますが、HIV/エイズ対策への社会的関心の低下が恒常的に指摘されているいまこの時期に、エイズキャンペーンは何を目指すのか。その方向性をある程度、理解していただけるのではないかと考え、紹介します。
http://asajp.at.webry.info/201108/article_5.html

 ボディコピーは《どこかでエイズの流行と触れあっている「わたし」。すれ違ったかもしれない「わたし」。だれが何を支え、何を防ごうとしているのか。いろいろな人たちの「エイズとわたし」を聴いてみたい。そして、語りたい》という短い文章です。数えてみたら、句読点や「」を含めても97文字でした。伝えたいことをぎりぎりまで絞り込んだメッセージですね。テーマとつなげて通しで見ると、以下のようになります。

エイズとわたし ~支えることと 防ぐこと~
 どこかでエイズの流行と触れあっている「わたし」。すれ違ったかもしれない「わたし」。だれが何を支え、何を防ごうとしているのか。いろいろな人たちの「エイズとわたし」を聴いてみたい。そして、語りたい。

 う~ん、いいんじゃないですか、なかなか。詩みたいな感じで改行を多用したらどうなるでしょうか。ちょっとやってみましょう。

 エイズとわたし ~支えることと 防ぐこと~
  どこかでエイズの流行と触れあっている「わたし」
  すれ違ったかもしれない「わたし」
  だれが何を支え、何を防ごうとしているのか
  いろいろな人たちの「エイズとわたし」を聴いてみたい
  そして、語りたい

 少々、採点があまいかもしれませんが、これもそれなりにいいのではないかという感じがします。どっちがいいのかな。ボディコピー作成を中心になって担当した人に聞いてみたら、「どちらでも、活用していただければ、これにすぐる喜びはありません。お好みで使い勝手のいい方をご利用ください」ということでした。

 ボディコピーと違って、コンセプトシートは約2300字、400字詰の原稿用紙なら6枚弱というかなり長い文章です。キャンペーンの展開の中で広く伝えることを意図したものというよりもむしろ、キャンペーンになんらかのかたちで携わる人たちに、できれば読んでおいていただきたいということが主要な目的になっています。
 長いといっても5分もあれば読めるものなので、詳しくはお暇な折にお読みください。「エイズとわたし」には情報の送り手と受け手の関係をフラットに考える視点が打ち出されていること、エイズ対策の両輪である予防と支援の重要性に目配りし、支えること、つまり支援を予防より先に強調していることなどには注目しておきたいですね。

鍵を握る人々(第37号 2011年9月)

 第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議(ICAAP10)が8月26日から30日まで、韓国の釜山で開かれました。「Diverse Voices, United Action(多様な意見 結束した行動)」をテーマにした今回の会議は、アジア太平洋地域でいま何が課題なのかを示す有意義な議論を数多く提供する一方、治療の普及を求めるアクティビストと警察官が会場内で衝突する場面もあり、HIV陽性率が比較的低い東アジアでHIV/エイズとの闘いを進めていくことの困難さを示す場にもなっていました。韓国のすぐ隣に位置する日本にとっても、引き出すべき教訓の多い会議だったといえそうです。
 会議の主催者である地元組織委員会の発表によると、参加者は65カ国2998人だったということです。ただし、TOP HAT News編集部の派遣記者からは、会場のBEXCO(釜山国際会議展示場)はやや閑散とした印象だったという報告もあがっています。開会式など特定の機会以外には地元の韓国からの参加が意外に少なかったのかもしれません。
 釜山のすぐ近くの大邱市では同時期に世界陸上が開かれていて韓国国内の関心はむしろそちら向いていたという事情もあり、地元の盛り上がり度はやや残念な状態でした。今回のICAAPに関連して韓国国内のメディアが最も大きな関心を持ったのは、人気グループのJYJがUNAIDSのアジア太平洋地域担当親善大使に就任し、ICAAP10の開会式でもパフォーマンスを披露したことでしょうか。
 会議初日の26日午後には、開会式に先立って組織委員会のミュンファン・チョウ会長や国連合同エイズ計画(UNAIDS)のミシェル・シデベ事務局長らの記者会見が行われ、UNAIDSの報告書「アジア太平洋のHIV:ゼロ達成に向けて」が発表されました。また、それに引き続いてJYJの記者会見も行われました。
 当然というか、残念なことにというべきなのか、メディアの関心は圧倒的にJYJの会見に集中していましたが、UNAIDSの報告書は極めて重要な指摘を数多く行っています。中でも注目すべきなのは、アジア太平洋地域のエイズ対策について、いくつかのKey Affected Populations(KAP)に対し、十分に焦点が当てられてこなかった点を反省すべき大きな課題として強調していることです。
 報告書の内容を要約して紹介したUNAIDSのプレスレリースによると、アジア太平洋地域のHIV陽性者数は2009年時点で推定490万人(450~550万人)であり、2005年以降ほぼ横ばいで推移しています。
 この10年間の対策の成果は大きく、年間の新規感染者数は《2001年に推定45万人〔41万~51万〕だったのが、2009年には36万人〔30万人~44万人〕と20%も減っている》ということです。また、治療の普及も進み、《延命効果が高い抗レトロウイルス治療へのアクセスは域内で2006年以降3倍に拡大し2009年には74万人》に達しています。
 確かにめざましい成果ではありますが、それでも《2009年末現在でなお、アジア太平洋地域で抗レトロウイルス治療を必要とする人の60%以上がアクセスを得られていない》という現実が一方にあります。HIV/エイズ対策資金は必要額の三分の一にとどまっており、しかも、HIV/エイズ対策分野に対する国際的な援助額は「2009年に過去十年間で初めて横ばいとなり、2010年には減少している」という厳しい状態です。
 こうした中で、報告書は感染の高いリスクにさらされ、社会的な偏見、差別を受ける機会が多い人々をキーポピュレーションと位置づけ、《キーポピュレーションをHIV感染から守るための投資は依然、不十分である》と指摘しています。

 《2010年に詳細な支出報告のあった各国のデータでは、エイズ対策の支出のうち、HIV感染の高いリスクにさらされているキーポピュレーションのHIV予防に焦点をあてた支出は、南アジアで8%、東南アジアでも20%にとどまっている》

 では、そのキーポピュレーション、つまり「鍵を握る人たち」は誰なのかということになると、各国の事情によっても異なりますが、たとえば、男性と性行為をする男性(MSM)、薬物使用者、セックスワーカーとその客、移住労働者といった人たちがあげられています。若者や女性が含まれることもあります。UNAIDSの報告書だけでなく、ICAAP10のさまざまなセッションでもこうした「キーポピュレーション」が文字通り「キーワード」になって議論が進められました。たとえば、会議4日目のプレナリー(全体会議)では、ICAAPのプレナリーとしては初めてMSMをテーマにしたセッションが開かれています。
 最初に少し触れたように、会議2日目の27日には抗議行動のアクティビストと会場のBEXCO(釜山国際会議展示場)の警備員や警察官との衝突があり、会議参加者3人が一時、拘束されるという事態が発生しています。偶発的な「事件」だったように感じられるのですが、会議の後半部では、そうした「事件」が二度と起きないようにしてほしいというアクティビストグループからの度重なる抗議があり、組織委員会やアジア太平洋エイズ学会(ASAP)、国連合同エイズ計画(UNAIDS)などがひとつひとつ丁寧に対応していたのが印象的でした。これもまた、エイズの流行に影響を受けてきた人たち(KAP)こそが、HIV/エイズ対策の鍵を握る人たちでもあるという認識があったからではないかと思います。
 UNAIDSの報告書については、HATプロジェクトのブログにプレスレリースの日本語仮訳が掲載されています。
http://asajp.at.webry.info/201108/article_7.html

コミュニティアクション2011に参加を(第38号 2011年10月)

 コミュニティアクション2011(Community Action on AIDS 2011)は、世界エイズデー(12月1日)を中心にした2011年の国内啓発キャンペーンのテーマ「エイズとわたし ~支えることと 防ぐこと~」に連動して進められるコミュニティ主導のキャンペーンです。キャンペーン実施期間は一応、11月15日から12月31日までですが、公式サイトは10月上旬に公開されており、実質的なキャンペーンはすでに進行中と言っていいでしょう。
http://www.ca-aids.jp/

 サイトには東京都エイズ予防月間(11月16日~12月15日)の講演会や様々な普及啓発イベントも紹介されています。12月1日の夜には、エイズに対する理解と支援の象徴である「レッドリボン」にちなみ東京都第一本庁舎も赤くライトアップされますね。
 世界エイズデーに向けた国内啓発キャンペーンテーマは昨年から、HIV/エイズの現場の声を反映しうるプロセスを模索中です。その結果、昨年のテーマは「続けよう」になったのですが、残念ながらテーマを決めた後の展開は十分とは言えませんでした。今年は何とかそこから一歩、踏み出そうというのが、コミュニティアクション2011のそもそもの出発点です。中身をひと言で説明すれば「全国のエイズイベント情報の集約と発信」ということで、公式サイトの「ごあいさつ」には次のように書かれています。

 《「HIV/エイズに対する社会的関心が低下した」「誰も興味を示さない」「情報が極端に減っている」…本当にそうでしょうか。12月1日の世界エイズデーとその前後の期間に予定されている全国各地の自発的な動きがつながっていけば、「エイズとわたし」の異なる姿もまた見えてきます》

 サイトではイベント情報だけでなく、「わたしのエイズ宣言」も広く募集しています。エイズの流行について、私はどう考えているのか。「あまり考えていない」という人ももちろんいます。それもまた「エイズ」と「わたし」の関係のあり方のひとつですね。あまり考えていなかったけれど、それはどうしてなんだろうと考える機会もまた出てくるかもしれません。そうした機会が少しずつ増えていけば、コミュニティ主導のキャンペーンはひとまず成功と言うことができそうです。

成果は持続できるのか UNAIDS報告から(第39号 2011年11月)

 世界エイズデーを控え、国連合同エイズ計画(UNAIDS)が11月21日、世界のHIV/エイズの流行の最新推計にもとづく報告書「2011世界エイズデー・レポート」を発表しました。2010年末現在の推計は次のようになっています。

 ・世界のHIV陽性者数 3400万人〔3160万~3520万人〕
 ・2010年のHIV年間新規感染者数 270万人〔240万~290万人〕
 ・エイズ関連の疾病による年間死者数 180万人〔160万~190万人〕

 年間の新規感染者数、死者数は減少傾向にあるのですが、HIVに感染して生きる人の総数は依然、増加しており、2001年時点と比べると、2010年は17%も多くなっています。
 新規感染者数がこれまでで最も多かった年は1997年で、昨年はそのピーク時より21%も減っています。年間の死者数は2005年がピークで、昨年はそれより18%少なくなっています。新たにHIVに感染する人は減っているのに、世界全体のHIV陽性者数が増えているのは、1年間にエイズで亡くなる人の数より、新たにHIVに感染する人の数の方が多いからです。
 減少傾向にあるとはいえ、世界はいまなお、平均すると毎日7000人も新たにHIVに感染している状態です。エイズの流行が下火になったとは到底、いえません。
 死者数も小さな数字ではありません。平均すれば毎日5000人近くがエイズで亡くなっていることになります。治療の普及に力を入れ、さらに死亡を防ぐことは急務です。
 誤解を恐れずに言えば、全体のHIV陽性者数の増加自体は、治療の普及によりエイズで死亡する人が減っていることの反映でもあるので、一概に対策がうまくいっていないと決めつけることはできません。むしろ大きな成果を上げているというべきでしょう。
 ただし、HIVの新規感染者数も死者数もさらに減らしていかなければならないという観点からすれば、現状はゴールではなく、あくまで中間点、あるいはそのずっと手前での成果であり、予防対策と治療の普及はより一層、進めていかなければ、その一時的な成果も吹き飛んでしまいます。
 UNAIDSの報告書には「より速く、より賢く、より良く」という提言が掲げられています。2008年のリーマンショック以降の世界経済の停滞の中で、各国のエイズ対策資金の拠出意欲にも陰りが見え、端的に言えば、これからさらに治療の普及に力を入れなければならないというまさにその時期に、対策の拡大を支える資金が減り始めているのです。
 そうした限られた資金の中で、投資効果の最大化をはかるための提言が「より速く、より賢く、より良く」であり、その実現に向けた「投資フレームワーク」の中で、UNAIDSは優先的に対応すべき課題として次の6点をあげています。

 1 感染の高いリスクに直面しているグループに焦点をあてる。
 2 母子感染予防に力を入れ、子供の感染をゼロにする。
 3 行動変容プログラムを推進する。
 4 コンドームの使用促進と配布を進める。
 5 HIV陽性者の治療・ケア・支援に力を入れる。
 6 陽性率に高い国での男性の自発的な割礼手術の実施を進める。

 一番目の感染の高いリスクに直面しているグループには、セックスワーカーとその客、男性と性行為をする男性(MSM)、注射薬物使用者らがあげられています。
 UNAIDSの報告書によると、途上国で緊急に治療を必要とするHIV陽性者1420万人の約半数(47%)の660万人が治療を受けられるようになっています。1年か2年前の治療のカバー率は30%程度でした。10年前には5%にも満たなかったことを考えると、この10年の進歩はめざましいものですが、それでもまだ、生死にかかわる治療が必要な人の半数以上が治療を受けられずにいます。
 治療の普及には、予防対策上の効果も期待できる。このことも報告書には強調されています。「予防としての治療」に関しては医学的エビデンスが提示される一方で、社会的な観点を含めて考えた場合の実効性や効果に対する懐疑論も指摘されています。ただし、治療の普及を支える対策資金の増額がなければ、そうした議論はそもそも成り立ちません。エイズの流行を終息に持ち込むことができるのか、それとも再び拡大を招いてしまうのか。世界はいまなお、厳しい岐路に立たされています。