年表

年表

エイズ対策略史

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)が2006年にまとめたファクトシート《 25 Years of AIDS 》などをもとに略年表を作成しました。詳細なHIV/エイズ年表については、エイズ&ソサエティ研究会議のHATプロジェクトのブログに掲載されています。
1980年代 http://asajp.at.webry.info/200501/article_8.html
1990年代 http://asajp.at.webry.info/200501/article_9.html
2000年以降 http://asajp.at.webry.info/200501/article_10.html

1959

コンゴのレオポルドビル(現在のコンゴ民主共和国のキンシャサ)で男性が血液を提供。この提供された血液の中から後にエイズの病原ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)が見つかっている。これがいままでに確認された最も古いHIVとされている。

1980

西海岸と東海岸の大都市圏のゲイコミュニティで、若い男性には珍しい肺炎や皮膚がんの症例がゲイコミュニティに広がっているのを医師らが確認。

1981

米カリフォルニア州の医師が報告した5人のゲイ男性の肺炎の症例が米疾病対策センター(CDC)の死亡疾病週報(MMWR)の6月5日号に掲載される。これが後にAIDS(後天性免疫不全症候群=Acquired Immune Deficiency Syndrome)と呼ばれる病気の最初の公式報告とされていることから、この年をエイズの流行の起点として考えることが多い。同様の免疫システムの不全症例は同年中に女性や薬物注射使用者の間でも確認されている。

1982

AIDSの名称および症例の定義が初めて定められた。血液、母子感染、性行為の3つの感染経路がこの年のうちに確認された。

1983

仏パスツール研究所のリュック・モンタニエ博士、フランソワ・バレシヌシ博士らのグループがlymphadenopathy-associated virus (LAV)の分離に成功。このウイルスが後にHIV(ヒト免疫不全ウイルス)として知られるようになる。異性間の性感染によるエイズの流行が中部アフリカで明らかになる。

1984

米国のロバート・ギャロ博士がHTLVⅢをエイズの病原ウイルスであると特定。

1985

世界のすべての地域で少なくとも1件はHIV感染症例が報告され、エイズの流行が世界規模で拡大していることが明白になる。米国とヨーロッパで最初のHIV抗体検査が認可され、献血血液に対するHIVスクリーニング検査が始まる。米ジョージア州アトランタで第1回国際エイズ会議が開催され2000人以上が参加。映画スターのロック・ハドソンが国際的な有名人として初めてエイズ患者であることを公表。

1986

国際HIV陽性者委員会発足。この委員会が後にThe Global Network of People Living with HIV/AIDS (GNP+、世界HIV陽性者ネットワーク)へと発展。LAV、HTLVⅢなどエイズの病原ウイルスである名称をHIVに統一。

1987

ウガンダで、アフリカ初のコミュニティを基盤にしたエイズ対策組織(TASO = The AIDS Support Organization)発足。WHOが2月にエイズ特別プログラム創設。国連総会でエイズに関する討議。国連総会が特定の病気をテーマに取り上げるのはこれが初めてだった。世界初のエイズ治療薬azidothymidine (AZT)が米国で承認される。

1988

HIV/エイズに取り組む専門家の組織として国際エイズ協会(IAS)が発足。エイズに関する世界保健大臣会議がロンドンで開かれる。WHOが12月1日を世界エイズデーとすることを宣言。

1989

モントリオールで開かれた第5回国際エイズ会議の閉会式で、HIV陽性者が演説。

1990

推計で1990年までに100万人の子供が両親またはどちらか一方の親をエイズで失う。

1991

レッドリボンがエイズ啓発の国際的なシンボルとなる。コミュニティのエイズ対策への積極的な参画を目指し、NGO(非政府組織)、CBO(コミュニティ・ベースの組織)の世界ネットワークとして、エイズ・サービス組織国際協議会(ICASO)が発足。米プロバスケットボールNBAのマジック・ジョンソンがHIV感染を公表して現役引退。クイーンのフレディ・マーキュリーがエイズで死去。

1992

米国政府がHIV陽性者の入国規制を撤廃しなかったため、第8回国際エイズ会議の会場が米・ボストンからオランダのアムステルダムに急遽、変更。ウガンダとタイでエイズの流行に対して、国をあげて対策と取り組んだ結果、HIV陽性率の低下が始まる。

1993

バレーダンサーのルドルフ・ヌレーエフ、テニスのアーサー・アッシュなど著名人が相次いでエイズで死亡。薬剤耐性問題などでエイズ治療の前途に暗雲。エイズ対策への厭戦ムードが広がる。米国エイズ委員会が最終報告書「エイズ・拡大する悲劇」を発表。

1994

横浜で第10回国際エイズ会議開催。42カ国の政府代表が参加し、パリでエイズ・サミット開催。HIV陽性者のより積極的な参加(GIPA)原則を宣言。映画「フィラデルフィア」でエイズ患者役のトム・ハンクスがアカデミー主演男優賞。

1995

旧ソ連・東欧で薬物使用者のHIV感染のアウトブレークが判明。

1996

国連合同エイズ計画(UNAIDS)が活動開始。抗レトロウイルス薬の多剤併用療法(HAART)の延命効果が国際会議などで報告される。ブラジルが途上国としては初めて、抗レトロウイルス治療を公的健康保険システムにより提供。ミュージカル「レント」がトニー賞受賞。

1997

HIV/エイズに関する世界ビジネス協議会が発足(のちに、エイズに関する世界ビジネス連合となる)。エイズの流行が子供に与える影響に焦点をあてた報告書「危機に瀕する子供たち:HIV/エイズ支援戦略」を米国際援助庁(USAID)が刊行。

1998

南アフリカでHIV陽性者らが治療のアクセス確保を政府に求め、治療行動キャンペーン(TAC)を設立。製薬会社39社が南アフリカ政府に対し、治療薬の価格を下げる立法に反対して訴訟を起こす。

1999

タイでHIVワクチン効果判定臨床試験(注:第3層試験か)開始。アフリカのエイズ対策を強化するため、国連がアフリカ・エイズ対策国際パートナーシップを発足させる。国境なき医師団がノーベル平和賞受賞。

2000

国連安全保障理事会がエイズに関する集中討議。南アフリカのダーバンで第13回国際エイズ会議。九州沖縄サミットで途上国の感染症対策への支援強化を宣言。国連ミレニアム宣言でミレニアム開発目標が発表され、エイズ・結核・マラリアの流行を拡大から縮小へと転じることが、主要8目標の一つに盛り込まれる。UNAIDSとWHOが製薬5社と共同で、途上国のHIV治療アクセス拡大のための共同構想(The Accelerating Access Initiative)を発表。

2001

コフィ・アナン国連事務総長がアブジャ(ナイジェリア)で、途上国のエイズ対策に毎年70億-100億ドルの「戦費」が必要として資金確保を呼びかける。国連エイズ特別総会開催。全加盟国の賛成でHIV/エイズに関するコミットメント宣言採択。エイズの流行を地球規模の大災害と位置づけ、世界がエイズとの闘いに取り組むことを求める。世界貿易機関(WTO)がドーハ宣言を採択し、ジェネリック薬によるHIV治療のアクセス拡大を容認。

2002

世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)創設。第1次補助金を承認。日本HIV陽性者ネットワークJaNP+発足。国連報告書「HIV/エイズ 中国のタイタニック危機」が発表後すぐにウエブサイトから姿を消す。

2003

米国が150億ドルの大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)発表。WHOとUNAIDSが「3by5」計画提唱。低・中所得国で抗レトロウイルス治療を受けられる人を2003年時点の40万人から05年末に300万人に拡大することを目指す。

2004

世界女性エイズ連合ICW発足。効果的エイズ対策推進のための「3つの統一」原則 ( 各国における統一されたエイズ政策の枠組み、統一されたエイズ対策実施主体、統一されたモニタリング・評価システム)に関する国際的合意が成立。

2005

英国のグレンイーグルスサミット(主要8カ国国首脳会議)で、2010年までに抗レトロウイルス治療のユニバーサル(普遍的)アクセス実現に可能な限り近づくことを約束。国連世界サミット2005で、世界の指導者が2010年までに必要な人に対する治療のユニバーサル(普遍的)アクセスの実現に可能な限り近づくことを目指し、HIV予防、治療、ケア、支援の規模拡大のための行動を取ることに合意。低・中所得国で抗レトロウイルス治療を受けている人は2005年末時点で推定130万人。

2006

国連エイズ対策レビュー総会で政治宣言採択。HIV予防、治療、ケア、支援の普遍的アクセスを国際目標として確認。

2007

UNAIDSとWHOが世界のHIV陽性者数推計などを大幅に下方修正。推計制度の向上が主要因と説明。年間の新規感染は90年代後半をピークに以後、減少傾向にあることも指摘。年間のHIVの新規感染者は、エイズによる死者数を上回ると推定されており、HIV/エイズの流行は依然拡大。

2008

米ブッシュ政権がHIV陽性者に対する米国の入国規制撤廃の方針を発表。メキシコの第17回国際エイズ会議で早期治療の成果の報告が相次ぎ、抗レトロウイルス治療を予防にも役立てる考え方が注目される。

2009

米オバマ政権が2010年1月にHIV陽性者に対する米国の入国規制を完全に撤廃すると発表。これを受け、国際エイズ学会(IAS)は過去20年間、米国で開けなかった国際エイズ会議を2012年に米国の首都ワシントンで開くことを決定。08年秋のリーマンショック以降の経済危機により先進国の資金拠出意欲が減退していることに懸念広がる。WHOが抗レトロウイルス治療の開始時期の目安をこれまでのCD4陽性細胞数200以下から350以下に広げることを推奨。

2010

途上国で抗レトロウイルス治療を受けている人の数は09年末現在、520万人とWHOが発表。治療へのアクセスは飛躍的に拡大したが、治療を必要とする陽性者数も1500万人に増加。米国に続き、中国、ナミビアなどがHIV陽性者に対する入国規制撤廃を発表。ウィーンの第18回国際エイズ会議で人権の重要性を強調。薬物政策を取締強化中心主義から健康被害軽減の公衆衛生的アプローチに転換するよう求めるウィーン宣言発表。