その5(2010年4月~2010年7月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その5(TOP-HAT Newsから)

 2010年4月から7月までに発行された4本(第20~23号)。各号の目次は以下の通りです。
《サッカーW杯にかける希望》(第20号 2010年4月)
《議論に筋目を 第24回日本エイズ学会ニューズレター発刊》(第21号 2010年5月)
《感染報告の減少をどう受け止めるか》(第22号 2010年6月)
《オフィス街のエイズ講演会》(第23号 2010年7月)

 サッカーのW杯が6月に開幕し、ほぼ1カ月にわたり熱戦が展開されました。開催国・南アフリカは世界最大のHIV陽性者人口を抱える国であり、2000年(と2016年)には国際エイズ会議が開かれています。これを見逃す手はないでしょうということで、さっそく取り上げました。
 「垣根を越えよう」をテーマにした11月の日本エイズ学会学術集会・総会では、準備段階からニューズレターを発行しています。啓発という意味でも注目の試みでした(ただし担当者はへとへと)。
 健康落語の立川らく朝さんは当時、二つ目でしたが、2015年4月に真打ちに昇進されています。東京都の講演会では、その日のサッカーW杯日本対パラグアイ戦をすかさず取り上げ・・・。
 《日本は惜しかったですねえ。惜しかったけれど、パラグアイもあまり調子は良くなかったそうです。腹具合が悪かった・・・》
 つかみだけでなく、講演全体も見事でした。傍聴記もあわせて、ぜひお読みください。

サッカーW杯にかける希望(第20号 2010年4月)

 4年に1度のサッカーW杯が6月11日から1カ月間、南アフリカで開かれます。5月のゴールデンウィーク明けには日本代表メンバーも発表される予定なので、これからどんどん盛り上がりそうですね。期間中は世界中から熱心なサポーターが続々、南ア各都市に乗り込むことになります。
 日本は予選リーグのグループEでオランダ、デンマーク、カメルーンと対戦します。W杯出場チームはどこも実力的に日本より上と考えておく必要がありそうですが、だからこそ応援にも一段と熱が入ります。グループEの日本の試合予定は以下の通りです。
 6月14日 対カメルーン
   19日 対オランダ
   24日 対デンマーク

 第2戦会場のモーゼス・マヒダ・スタジアムはインド洋に面したリゾート都市ダーバンにあります。国連の会議や国際スポーツ大会などもしばしば開かれている町で、2000年7月には第13回国際エイズ会議の会場になりました。
 1980~90年代の国際エイズ会議は北米と西欧の諸都市を会場に開かれ、唯一の例外は94年に横浜で開催された第10回会議でした。つまり先進国で開く会議だったわけです。エイズ対策史の流れを変え、アフリカで初、そして世界中の途上国でも初の国際エイズ会議となったのがダーバン会議でした。抗レトロウイルス薬の多剤併用療法の普及により、先進国では1996年以降、エイズによる死者が大きく減る一方で、経済的に治療薬を手に入れることが困難な途上国では96年以前と同じようにたくさんのHIV陽性者がエイズを発症し、死に直面していました。この状態を看過していいのかという声が途上国からも先進国からも巻き起こり、世界が動き始める。その象徴が2000年7月9~14日に開かれたダーバン会議であり、1週間後の7月21日から3日間にわたって開かれた九州沖縄サミットでした。
 ダーバン会議のテーマはBreaking the Silence(沈黙を破ろう)。最も大きな困難に直面している地域、国、人々が声をあげなければならない。黙って死を待つことはできない。そうしたメッセージが世界に向けて伝えられました。そして、九州沖縄サミットでは途上国のエイズ対策を支える新たな追加的資金の必要性が認識され、翌年6月の国連エイズ特別総会、7月のジェノバサミットを経て2002年1月の世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)創設につながっていきます。世界のエイズ対策史を振り返れば、日本と南アフリカは決して疎遠な国ではありません。むしろ、21世紀の最初の10年間のHIV/エイズ対策を方向付けた重要なスルーパスの送り手は、日本と南アフリカという異色のMF(ミッドフィールダー)コンビだったというべきでしょう。
 国連推計によると、南アフリカのHIV陽性者数は2007年末現在で570万人。あくまで推計値レベルの話ではありますが、世界で最も大きなHIV陽性者人口を抱える国です。1999年6月から2008年9月まで大統領の座にあったターボ・ムベキ氏は、ダーバン会議開催国の元首であったにもかかわらず、HIVはエイズの原因ではないとの考え方に傾き、抗レトロウイルス治療(ART)の普及に熱心とは言えませんでした。したがって、ムベキ政権下での南アのHIV/エイズ対策は必ずしも有効なものとはならず、流行の拡大を抑止する課題は次のジェイコブ・ズマ大統領にゆだねられたまま現在に至っています。
 ズマ大統領は昨年10月、南アフリカ全国州議会で演説を行い、前政権の「エイズ否認主義」の終焉を宣言するとともに、2011年までに新規HIV感染件数を半減させ、抗レトロウイルス治療を必要とする人への治療普及率を80%以上にするという国家戦略プランの目標を実現するために大規模な運動を開始することを国民に呼びかけました。南アのHIV/エイズとの闘いはまさにいまが正念場というべきでしょう。
 アフリカ大陸で初のサッカーW杯は、奇しくもそうした時期に南アフリカで開かれます。世界最大の巨大スポーツイベントの開催には治安上の不安も指摘されていますが、この大会を何とか成功させたいという南アの人たちの強い思いはかつて東京オリンピックを経験した日本の国民なら理解できるのではないでしょうか。
 ジャパンがどこまで活躍できるか、あるいは、できずに終わるのか。日本からの弾丸感染・・・じゃなかった観戦ツアーで南アを訪れるサポーターの皆さん、そして日本国内にとどまり、衛星中継で「行け~、そこだ!」と応援しようと思っている皆さん、サッカーの大会である以上、W杯南ア大会の関心の焦点が試合にあることを否定するつもりはもちろんありません。しかし、できうればそれと同時に、HIV/エイズとの闘いに未来を託した南アフリカという国の不安と混乱だけでなく、希望の存在にも目を向けていただければ幸いです。

議論に筋目を 第24回日本エイズ学会ニューズレター発刊(第21号 2010年5月)

 11月に東京で開かれる第24回日本エイズ学会学術集会・総会のニューズレターが発刊されました。題字は学会テーマと同じ「垣根を越えよう」です。A4版8ページの第1号(2010年4月20日号)はすでに印刷版が配布されているほか、pdf版も第24回日本エイズ学会学術集会・総会の公式ウエブサイトにアップされています。
http://www.secretariat.ne.jp/aids24/

 日本エイズ学会の学術集会・総会では、2006年の第20回学会で会期中の3日間、A4判2ページのニューズレターを試行的に出したことがあります。複数のプログラムが同時並行的に進められる学会では、参加者が個々のプログラムに出ていると、全体の動向を把握できないこともあります。ある程度の速報性と解説性を備えたメディアの存在は、そうした限界を補完する役割を一定程度、担う可能性があります。今回は基礎、臨床、社会といった研究分野の「垣根を越えよう」ということが大きなテーマであることから、20回学会当時のニューズレター編集スタッフを中心に編集班が編成されることになりました。新聞、雑誌メディアの分野からエイズ対策分野に積極的に関与する方法のひとつとしても興味深い試みといえそうです。
 会期中の3日間だけでなく、事前に3号(4月、7月、10月)、事後に総集編(12月)と計7回発行される予定です。HIV/エイズは、20世紀後半以降に流行が本格化した新興感染症であり、対策の有効性、危機に直面したときの社会の対応、個人の内面の葛藤などさまざまなフェイズで議論の対象になる現象でもあります。その《論点を切り分け、議論に筋目を見いだす》ことを編集の方針として打ち出しており、内外のエイズ対策の動向を把握するうえでも参考になるかもしれません。

感染報告の減少をどう受け止めるか(第22号 2010年6月)

 厚生労働省のエイズ動向委員会は5月27日、昨年(2009年)の年間新規HIV感染者、エイズ患者報告の確定値を発表しました。HIV感染者報告1021件、エイズ患者報告431件で、感染者・患者報告の合計は1452件となっています。
 感染者報告数は08年、07年に次ぎ3番目で、前年比ほぼ1割減。患者報告数は過去最高だった08年と同数で、感染者・患者報告数の合計も08年、07年に次ぐ第3位でした。感染者・患者の合計報告数は7年連続で増加していましたが、09年は減少に転じています。
 動向委員会へのエイズ患者報告には、エイズ発症以前にすでにHIV感染者として報告されている人は原則として含まれません。現実には感染者報告と患者報告のダブルカウントもあるようですが、少数にとどまると見ていいでしょう。患者報告は、おおむねエイズを発症するまで自らのHIV感染に気付かなかった(もしくは、うすうす気付いていても確認できなかった)ケースと考えることができます。
 これまでの研究の成果では、HIV感染を知った人は、他の人に感染しないよう注意を払う傾向が強くなること、抗レトロウイルス治療を受けている人は体内のHIV量が低く抑えられ、他の人への感染リスクが減ることなどが指摘されています。そうだとすれば、エイズ発症以前に自らのHIV感染を知り、治療を開始する人の割合が増えることで、社会全体のHIV感染リスクは低くなると考えることができます。逆にエイズ患者報告の割合が高くなることは、社会的に見てHIV感染の機会が増えることを示唆する指標なのかもしれません。そうしたことを念頭に置いて、エイズ動向委員会の2003年以降の感染者・患者報告数と報告全体に占める患者報告の割合(%)を見てみましょう。

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
エイズ患者 336 385 367 406 418 431 431
HIV感染者 640 780 832 952 1082 1126 1021
976 1165 1199 1358 1500 1557 1452
割合 34.4% 33.0% 30.6% 29.9% 27.9% 27.7% 29.7%

 エイズ患者報告の割合は03年以降、低下を続け、08年には27.7%にまで下がりましたが、09年はリバウンドして、06年レベルに戻っています。
 また、動向委員会によると、09年の保健所等におけるHIV抗体検査数は15万0252件、相談件数は19万3271件で、いずれも前年比15%程度の減でした。検査も相談も減り、その結果、HIVに感染した人が早期に感染を知る機会も失われたのだとすれば、09年の感染者報告の減少は、新規感染そのものの減少を示すのではなく、HIVに感染しているのにそれに気付かない人が増えていることの反映と考える必要があります。
 検査や相談はどうして減ったのでしょうか。理由の一つとして昨年4月以降の新型インフルエンザの流行の影響が指摘されています。確かに新型インフルエンザ対策のために保健所の他の業務が滞る時期はあったようですが、昨年4月以降の全期間でそうだったわけではありません。また、動向委員会報告では、新型インフルエンザの流行が下火になった今年1~3月期も減少傾向は続いています。新型インフルエンザの影響だけでは説明がつきません。報告に表れた見かけの減少は、HIV/エイズの流行の縮小ではなく、エイズ対策に対する関心の低下を反映したものであり、感染の拡大傾向が今後も続いていくことへの警告と考えるべきでしょう。

オフィス街のエイズ講演会(第23号 2010年7月)

 東京都のHIV検査・相談月間の最終日にあたる6月30日午後7時から、千代田区丸の内の三菱ビル1階、コンファレンススクエアエムプラスで『身近に感じてほしい~HIV陽性者とともに働いていること~』と題した講演会が開かれました。会場は東京駅の丸の内側の駅前にあるビル。大手町・丸の内という日本を代表するオフィス街の一画です。参加した方も周辺の企業にお勤めの男女が多かったのではないかと思います。
 エイズの原因ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染予防対策はわが国の場合、若者を対象に想定して進められる傾向が強いようです。もちろん、性行動が活発な年齢を迎えようとしている若者に対し、早めにHIV/エイズ関連の基本的な知識や予防情報を伝えることは、非常に重要です。このことに議論の余地はないでしょう。
 ただし、実際のHIV感染者・エイズ患者報告を見ると、HIVの新規感染者は20代、30代、そしてエイズ患者は30代、40代が多くなっています。つまり、報告ベースで見る限り、流行の中心は働き盛りの年齢層なのです。若者を対象にした予防啓発は大切ではありますが、対策が若者にのみにターゲットをしぼるかのような誤解を与えるとなると、やや話は変わってきてしまいます。若者にも、そして働き盛りの年齢層にも、ともに目配りのきいた対策が必要であると考えるべきでしょう。
 講演会でお話をされた立川らく朝さんは、医師でプロの落語家という異色の経歴の持ち主です。1990年代にはエイズ対策企業懇話会という団体の事務局長もされていました。企業のエイズ対策を語るには最もふさわしい人物といえます。講演会はどんな様子だったのか。「傍聴記」を紹介します。

『課長さんどうします 講演会傍聴記』
(産経新聞特別記者 宮田一雄)
 
 立川らく朝さんは学生時代からの落語家への夢をあきらめきれず、46歳で立川志らく師匠の弟子となり、その4年後の2004年には二つ目に昇進した。真打ちを目指し、いまも稽古に励んでいる。医師としては20年以上も前から企業の健康教育に取り組んでいるが、プロの落語家として修業を積んだことでその話術にも一段と磨きがかかり、説得力を増しているようだ。古典落語のほか、「ヘルシートーク」「健康落語」「健康一人芝居」といった新ジャンルも開拓し、大変な人気である。
 《日本は惜しかったですねえ。惜しかったけれど、パラグアイもあまり調子は良くなかったそうです。腹具合が悪かった・・・》
 東京都HIV検査・相談月間の講演会が行われた6月30日といえば、サッカーW杯の決勝トーナメントで日本が惜しくもベスト8進出を逃した当日である。オフィス街でも朝からその話題で持ちきりだったはずだ。らく朝さんも、すかさずそのW杯を取り上げ、会場を笑いでほぐしながら、企業のエイズ研修で行った15年前のロールプレイイングの話につなげていく。
 課長と部下2人が残業をしていた。部下の1人が指先を切って出血したので、もう1人が手当をしようとすると、指を切った部下があわてて「さわっちゃだめ」と制止する。会社には黙っていたが、HIVに感染しているのだという。HIV陽性者であることをカミングアウトする結果になった部下に対し、課長は何と言葉をかけるのか。課長になったと思って考えてください。
 研修を受けた企業関係者からは「君がHIVに感染していることはちゃんと部長に報告しておくから、安心してほしい」といった趣旨の回答が多かったそうだ。ホーレンソウ(報連相=報告、連絡、相談)は企業人の基本といった発想からすれば、当然のような印象も受けるが、これでは部下も立つ瀬がない。安心などできないだろう。実は、部下の健康情報というプライバシーを業務上知り得た場合には、上司にも守秘義務がかかる。むやみに部長に報告などできない。報連相と守秘義務の板挟み。課長はどうしたらいいのか。
 会場は「う~む」と静まりかえった。15年後の今日でも、事情はそれほど変わっていないということだろう。
 課長が困ったのは実は、課長さん個人の責任ではなく、会社の責任です。らく朝さんはこう解説する。
 対応を示すシステムが会社にない。それが問題です。企業のエイズポリシーを定め、このような場合に中間管理職はどうすべきか、情報を知っておくべきなのは誰なのかといったことを決めておく。その知っておくべき立場の人は、産業医、人事部長、役員の1人といった範囲であり、その人たちにも当然、守秘義務がかかる。職場の同僚に伝えるかどうかは、そのうえでのHIVに感染している人自身の判断を尊重する。そのためにはもちろん、HIV陽性者が仕事を続けていけるよう環境を整えていくことも必要だ。
 HIVに感染していることが分かれば、解雇されるか、自分でやめていくかのどちらかを選ぶしかない。かりにそのような雰囲気が企業内にあるとすれば、企業は結局、貴重な人材を失うことになる。それではリスクマネージメントは失格である。「HIVに感染した人はうちにはいません」と企業の人事担当者が思っているような状態のときから、職場でHIV/エイズ研修を開いたり、基礎知識を伝えたりといった努力が必要なことも、ロールプレイイングで課長さんの立場になって考えれば納得できる。
 らく朝さんはプロの落語家を目指して研鑽に励んでいたことから、この10年ほどエイズ関係の情報には疎かった。このため、自ら切り開いたジャンルである「ヘルシートーク」や「健康落語」でエイズを取り上げることもなかった。東京都の講演会はその意味で、らく朝さんには大きな冒険だっただろうし、躊躇する気持ちもあったようだ。
 しかし、HIV/エイズに対する理解の深さ、笑いをまじえながら身近な話題に引き込んでいく緩急の話術の巧みさを考えれば、この才能を放っておく手はない。これからも積極的に「企業とエイズ」の話題を取り上げてほしい。旧知のエイズ対策関係者の多くがそう期待していることを、できることならばご本人にもお伝えしたいところである。