その2(2007年2月~2008年9月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その2(TOP-HAT Newsから)

 エイズ&ソサエティ研究会議が発行するTOP-HAT Newsの第5号(2007年2月)から第10号(2008年9月)までです。8カ月も間が空いたかと思うと2カ月連続で発行されるなどこの間の発行は不定期でした。担当者の性格的要因でしょう。
 国内ではHIV新規感染者・エイズ患者報告の増加が続いていた時期です。世界レベルでみると、HIV新規感染は1990年代の後半から減少傾向にあることが指摘されるようになった時期でもあります。継続的な対策の成果がようやく見えてきたということですね。ただし、第10号の「セプテンバーショック」(2010年9月)はリーマンショックがあった月です。国際的なHIV/エイズ対策に対する先進諸国の資金拠出意欲は以後、大きく減退しました。見通しの立てにくい変化の中で、持続可能な対策の遂行がますます求められるようになっています。

広がる危機  第5号(2007年2月)

 厚生労働省のエイズ動向委員会が発表した昨年(2006年)1年間の速報値によると、年間のHIV感染者新規報告数は914件、エイズ患者の新規報告数は390件でした。いずれも過去最高の報告数だそうです。
 エイズ患者報告数は、エイズを発症してからようやく検査によってHIVに感染していることが確認されたケースです。逆にHIV感染者報告数はエイズを発症していない感染者が対象になります。両者は重複していないので、昨年は速報値の段階ですでに、エイズ患者を含め1304人が新たに自らのHIV感染を知ったことになります。こちらも1985年にわが国で最初のエイズ患者報告が確認されて以来、22年間で最も多い人数です。
 「速報値の段階ですでに」と書いたのは、動向委員会では報告をさらに精査して毎年4月に確定値を発表するからです。少数ですが医療機関などからの報告の遅れもあるせいか、確定値は例年、速報値より数字がやや大きくなります。
 年間のHIV感染者・エイズ患者の新規報告数が1000人を超えたのは2004年でした。確定値ベースでその2004年が1165人、翌2005年が1199人、そして2006年は速報値ベースですでに1304人。3年連続して新規報告が1000人を超え、なおかつ年々増加しています。増え方の角度も大きくなっているようです。国内のエイズの流行が拡大を続けていることは報告の数字からもはっきりと読み取れます。
 ここでもうひとつ注意しておかなければならないのは、速報値にしても、確定値にしても、あくまで報告の数字であるということです。昨年1年間に日本国内で新たにHIVに感染した人の数とは違います。そのような数は誰も正確に把握することはできないのですが、これまでの統計の分析などから、報告の数字の数倍のレベルで感染の拡大が続いていると考えられています。
 エイズの流行の拡大というこの継続的な危機に対し、日本の社会はいま、どう対応しようとしているのか、どう対応すべきなのか。TOP HAT News 第5号はこの点にとくに留意しつつ、内外のHIV/エイズにかかわる動きを紹介していきます。

12月1日は世界エイズデー 今年で20回目です 第6号(2007年11月)

 エイズ対策は1日だけがんばるのではなく、毎日毎日の積み重ねが大切です。もちろん、それは分かっています。分かっているんですけどねえ、仕事も勉強も、いろいろあって、なかなか大変です。そういう人もたくさんいます。むしろ、世の中はそういう人の方が圧倒的多数です。日本だけがそうなのではなく、実は世界中、事情はあまり変わらないらしく、1988年から毎年12月1日が世界エイズデーになっています。
 この年、つまり1988年の1月にロンドンでエイズ対策世界保健大臣会議というのが開かれました。世界で最初のエイズの公式症例報告が米国であったのは1981年の6月でした。それから6年半が経過して、世界はようやく、「何とかみんなで協力してこの大変な病気の対策に取り組んでいこう」という会議を開いたのです。その後のエイズの流行の拡大ぶりを考えると、ちょっと出遅れた感は否めませんが、とにかくこの会議で、毎年12月1日を世界エイズデーにしようと決めました。数えてみると、今年でちょうど20回目になります。
 最近は、世界エイズキャンペーンという民間のキャンペーン推進組織が作られ、12月1日だけでなく、世界中で年間を通じてキャンペーンを続けていこうという動きになっていますが、それでも12月1日は象徴的な1日です。日本でも11月後半から、12月前半にかけて、エイズ対策に理解を呼びかけるさまざまなイベントが計画されています。

世界のHIV陽性者数は3320万人 国連が新たなHIV/エイズ推計を発表(第7号2008年1月)

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)の「HIV/エイズ最新動向」2007年版が昨年11月21日付で発表されました。2006年版では3950万人だった世界のHIV陽性者数は、3320万人となっています。また、年間のHIV感染者数、エイズによる死者数も以下の表のように大幅に下方修正されています。

HIV/エイズ最新推計 2007年版 (2006年版)
HIV陽性者数 3320万人 (3950万人)
年間新規HIV感染者数 250万人 (430万人)
エイズによる年間死者数 210万人 (290万人)

 UNAIDSによると、これは主にサハラ以南のアフリカ諸国やインドで推計の精度が大きく向上し、流行の現状がより正確に把握できるようになったためということです。つまり、エイズの流行はこれまで考えていたほどには大きくはなかったということになります。
 ただし、それでも年間で250万人がHIVに感染し、210万人がエイズで死亡しています。平均すると毎日5800人がエイズのために命を失い、それを上回る6800人がHIVに新たに感染していることになるのです。非常に厳しい流行であることに変わりはありません。
 報告書はこれまでのHIV感染の状況についても、新たな推計方法で計算し直しています。その結果、HIVの新規感染は1998年にピークに達し、以後は年々、わずかながら減少していると指摘しています。これは新しい傾向です。サハラ以南のアフリカの国々がエイズの流行と闘えるように国際社会が大きな努力を注いだ成果といえるでしょう。
 しかし、ここで安心して努力の手をゆるめてしまえば、流行は再び拡大に転じることになります。日本をはじめとする東アジアの国々や旧ソ連諸国では流行は依然、拡大しているし、米国でも年間の新規感染者数は再び増加の傾向をたどろうとしているということです。希望はあっても楽観的になれる状態では決してありません。

過去最高1448人 昨年の新規HIV感染者・エイズ患者報告速報値(第8号2008年2月)

 昨年(2007年)1年間に国内で報告された新規HIV感染者およびエイズ患者数の速報値が2月12日に開かれた厚生労働省のエイズ動向委員会でまとまりました。感染者・患者をあわせると1448人と過去最高の報告数となっており、同委員会の岩本愛吉委員長(東京大学医科学研究所教授)は「検査件数が増えているので、その影響もあるが、それ以上に感染そのものが増えていることの反映だろう」と述べています。
 速報値によると、昨年の新規HIV感染者数は1048人で、初めて1000人を超えました。エイズ患者報告数は400人でした。4月には確定値がまとめられる予定ですが、確定値は速報値より数十人規模で増えていることが多く、確定値ベースでは年間の報告数が1500人を超える可能性もあります。確定値段階での新規HIV感染者報告数とエイズ患者報告数の合計は2004年に1165人と初めて1000人の大台を超えて以降、2005年1199人、2006年1358人。2007年は速報値ベースですでに1448人なので、増加傾向は一段と顕著になっています。
 感染経路別では、男性同性間の性行為が849件とほぼ6割を占めています。また、年齢別では、10歳未満0人、10代13人、20代348人、30代568人、40代292人、50歳以上225人、不明2人。30代、40代の増加傾向が目立っているそうです。
 国連エイズ合同計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)が昨年11月に発表した最新推計では、世界のHIVの新規感染は1998年をピークにわずかながら減少の傾向が見られるということでしたが、国内のエイズの流行に関しては、拡大傾向が続いていると見なければならないようです。

アジアはどう闘うのか アジアエイズ委員会が報告書『アジアのエイズ再定義』(第9号2008年8月)

 拡大を続けるアジアのエイズの流行にどう対応すべきなのか。アジア各国から参加した第一線の経済学者や医学者、市民社会代表、政治家ら9人の委員で構成するアジアエイズ委員会が2008年3月26日、報告書『アジアのエイズ再定義~効果のある対策を作る』をまとめ、ニューヨークの国連本部で潘基文事務総長に提出した。
 委員会は2006年6月、国連合同エイズ計画のアジア地域代表であるプラサダ・ラオ博士の呼びかけで発足。国連機関などとは独立した組織として、ほぼ1年半の間に5000点以上の関係文献を読み直し、各国政府やHIV陽性者グループ、エイズ対策のNPO関係者など600人以上からヒアリングを行った。報告書はこれらの成果を踏まえてアジア地域のエイズの流行の現状と中長期の社会経済的影響を分析し、「リーダーシップ」「環境」「資金」「介入策」「コミュニティ参加」「戦略とプログラムの実施」などに関して41項目の提言を行っている。
 報告書は《巨大な人口を抱えるアジアでは、HIV陽性率が低く見えても陽性者の実数は多い》として、国連合同エイズ計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)による2007年末現在の次のような推計を紹介している。

HIV陽性者数 490万人 (370万~670万人)
年間の新規HIV感染者数 44万人 (21万~100万人)
年間のエイズによる死者数 30万人 (25万~47万人)

 また、累計では《約20年前にアジアで最初のHIV感染が報告されて以来、この地域では推定900万人がHIVに感染している。一方で、これまでに男性約260万人、女性95万人以上、子供約33万人がエイズ関連の疾病で死亡したと推計されている》という。
 将来予測に関しては、《すでに確認されている根拠に基づき、委員会がこの報告書で推奨する集中的な予防パッケージの目標》を以下のように示している。
 ・セックスワーカーとその客のコンドーム使用率を80%以上にあげる。
 ・セックスワーカーとその客の性感染症(STI)を半減させる。
 ・薬物注射使用者(IDU)の注射針共用、および共用による注射の割合を半減させる。
 ・男性とセックスをする男性のコンドーム使用率を80%以上に上げる。
 さらに、これらの対策が着実に実行された場合には、《2008年から2020年までの間に次のような成果の達成が期待できる》という。
 ・新たな感染が500万人分減少する
 ・2020年までにHIV陽性者数が310万人減少する
 ・エイズ関連の死亡が40%減少する
 ・域内におけるHIV陽性率が着実に低下する

 報告書は《アジアなら、こうした対応は可能である》としたうえで、《問題は、世界で初めて域内のパンデミックを反転させるという成功物語を達成するために必要な政治の意思がアジアにあるかどうかである》と政治指導者のリーダーシップの重要性を強調している。
 報告書のエグゼクティブサマリーの日本語仮訳は、AIDS&Society研究会議HATプロジェクトのブログで、4回に分けて掲載してあります。
http://asajp.at.webry.info/200808/article_1.html
http://asajp.at.webry.info/200808/article_2.html
http://asajp.at.webry.info/200808/article_3.html
http://asajp.at.webry.info/200808/article_4.html

セプテンバーショック(第10号2008年9月)

 世の中、どうなっているんだろうと思いたくなる1カ月間でした。国内では9月に入ったとたん、福田康夫首相が記者会見で辞任を表明し、政局が一気に流動化しました。自民党総裁選、新内閣発足、そして総選挙の行方は・・・と政治の季節はいまなお、続いています。7月の北海道洞爺湖サミットでは国際保健が重要課題として取り上げられ、「国際保健に関する洞爺湖行動指針」が成果文書となりました。この指針の評価を含む最近の国際的な動きについては、《2 この1年のエイズ対策をめぐる世界の動向と課題を報告》の中で、稲場雅紀さんが分かりやすくまとめたものを紹介させていただきました。貴重なレポートです。どうかお読み下さい。
 洞爺湖行動指針については、外務省の実務担当者も、外務大臣も、首相も替わってしまい、そして誰もいなくなった状態ですが、国際的な約束は担当者が交替したからといって反故にできるものではありません。きちんとしたフォローアップが必要でしょう。
 2001年の9・11米中枢同時テロから7年。世界貿易センタービル跡地で行われた追悼式典の涙が乾く間もなく、ニューヨークの人たちは新たな悪夢に震えました。米証券大手リーマンブラザースの破綻が9月15日に明らかになり、ウオール街の金融危機は一段と深刻の度を増しています。ブッシュ米大統領は7月末に第2次PEPFAR(大統領エイズ緊急救済計画)を承認し、今後5年間でエイズを中心にした感染症対策と途上国の保健基盤強化のために480億ドルを拠出することを盛り込んだ法律に署名したばかりです。米国経済が今後、急坂を転げ落ちるように悪化していくとしたら、その拠出の約束はどうなるか。世界のエイズとの闘いの観点からは、そうした懸念もぬぐえません。
 国連合同エイズ計画(UNAIDS)は9月2日、著名な公衆衛生学者であり、1990年代の世界のエイズ対策に最も大きな影響力を持っていた研究者であるジョナサン・マン博士の没後10周年にあたり、博士の業績をたたえるプレスレリースを発表しました。1998年9月2日、ニューヨーク発ジュネーブ行スイス航空機がカナダ東部ノバスコシア沖で墜落し、事故機の乗客だったマン博士夫妻も帰らぬ人となりました。プレスレリースには次のように書かれています。
 《マン博士は予見力に満ちた医師であり、人権と公衆衛生の密接な関係を強調する指導者、科学者でもあった。HIV陽性者が自らの命、およびエイズ対策にかかわるようなプログラムの作成に参加する権利を擁護するために博士は闘ってきた。彼は政治の指導者に対し、陽性者を対等なパートナーとして遇するなどHIV/エイズ対策が人権確保を基本としたアプローチをとるよう働きかけてきた》
 1992年にはHIV陽性者に対する米国の入国規制に抗議し、ボストンで開催予定だった第8回国際エイズ会議の会場が急遽、オランダのアムステルダムに変更されています。この劇的な変更劇を主導したのもマン博士でした。先ほどのブッシュ大統領が署名した法律の中では、米国のHIV陽性者に対する入国禁止条項の撤廃も盛り込まれています。ボストン改めアムステルダム会議から16年、マン博士の残したもの大きさを改めて認識させられる思いです。