その14(2013年4月~2013年7月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その14(TOP-HAT Newsから)

 2013年4月から7月までの4本です。当時はエイズワクチンの開発に大きな期待がかかっていました。第56号は日本の研究開発の紹介です。多くの人の期待を背負い、それでもなかなか実用化に耐えうるワクチンは生まれません。COVID-19のワクチン開発はどうでしょうか。58号ではミレニアム開発目標(MDGs)の後継目標について取り上げました。MDGsは2016年1月、持続可能な開発目標(SDGs)にバトンタッチします。その2年ほど前の議論がどうだったか。そして2013年夏にはAIDS文化フォーラムin横浜が記念すべき20回目を迎えました。その都度、書き留めておかないと、あの時はどうだったのかということもなかなか思い出せないものですね。

日本発のエイズワクチン候補 臨床試験開始(第56号 2013年4月)

 国際エイズワクチン構想(IAVI)と茨城県つくば市に本社を置く医学分野のベンチャー企業・ディナベック社が4月1日、日本で開発されたエイズワクチン候補の第1相臨床試験について発表を行いました。英国、および東部アフリカ地域で臨床試験が始まっているということです。
 ワクチンの臨床試験は重大な副作用がないかどうかなど安全性の確認を行い、さらにワクチン接種の効果がどのくらいあるのかを調べていかなければなりません。動物実験などを重ね、そのレベルでは安全性も効果も期待できるぞということで、いよいよ実際に人を対象にして安全性や効果を調べていく段階に入ったわけですね。ここまでこぎ着けるのには研究陣の皆さんの大変な情熱と努力があったことは想像に難くありません。ただし、ワクチン開発の長い道のりを考えれば、それでもまだ臨床試験のスタートラインです。
 第1相は主にワクチン候補の安全性を確認する比較的、小規模な臨床試験ですね。動物実験レベルで有望とみなされるに至ったワクチン候補が実際にワクチンとして使用可能になり、世界中、とりわけエイズの流行が深刻なアフリカ地域で、HIVの感染予防に大きな力を発揮することになるのかどうか。それは分かりません。
 かりに実用化されるレベルに達するとしても、そうなるまでにはなお、長い時間が必要です。安全性を確かめ、そのワクチン候補が人の身体の中でもHIVに対する免疫を誘導することを確認し、しかも、その結果として広く感染を防止する効果があることを大規模試験できちんと確かめる必要があります。
 今回のワクチン候補の開発は、センダイウイルスベクターを使った新しい技術を駆使し、ディナベック社と国立感染症研究所、東京大学医科学研究所が共同研究を進めてきたそうです。第1相試験は、英国、および東部アフリカ地域ですが、一定の段階がきたら日本での治験への参加といった機会も出てくるかもしれません。日本発の研究が実を結び、HIV感染の高いリスクにさらされた人たちの多くが救われる日が来ることを期待しつつ、応援できることがあれば応援していきたいですね。
 東京大学医科学研究所のサイトも今回の発表を紹介しており、IAVIとダイナベック社のプレスレリース《日本技術による新しいエイズワクチン候補の臨床試験がアフリカで開始》(和文)を読むことができます。
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/info/post_7.php

 また、今回の研究で重要な役割を果たしているセンダイウイルスベクターについてはディナベック社のサイトに図入りの解説が載っています。
http://www.dnavec.co.jp/jp/technology/technology1.html

エイズ動向委員会報告2012確定値・委員長コメントを読む(第57号 2013年5月)

 厚生労働省のエイズ動向委員会が5月22日、昨年1年間の新規HIV感染者報告と新規エイズ患者報告の年間確定値を発表しました。

新規HIV感染者報告数 1002件(過去6位)
新規エイズ患者報告数 447件(過去3位)
   
感染者・患者報告の合計 1449件(過去6位) 報告数1日平均約4件

 昨年(2012年)の年間報告数については2月22日に速報値が発表されていますが、確定値はその時よりも感染者報告で1件、患者報告で2件、計3件の増加となりました。誤差は0.2%程度なので、感染の動向などを判断する上での影響はほとんどないといっていいでしょうね。岩本愛吉委員長が記者会見で明らかにした「委員長コメント」が発生動向の概要とあわせて、API-Netのエイズ動向委員会報告のページに掲載されています。
http://api-net.jfap.or.jp/status/2012/12nenpo/nenpo_menu.htm

 コメントの「まとめ」の部分には5点の指摘があり、最初に《新規HIV感染者報告数は、2008年以降、増加傾向から横ばいに転じている。新規AIDS患者報告数は、日本国籍男性を中心に増加傾向から横ばいとなりつつある》として報告の横ばい傾向を強調しています。過去10年間の推移を大きくとらえておくと、患者感染者報告の合計が1000件を超えたのは2004年(1165件)のことでした。それまでは数百人のオーダーだったのですが、このあたりから増加傾向が顕著になり、3年後の2007年には1500件に達しています。
 ただし、その後は08年の1557件をピークにして横ばい傾向に転じ、この3年は横ばいからさらに微減の傾向といっていいかもしれません。
 2月の速報値段階の委員長コメントはこうした経年の傾向を踏まえ、「新規HIV感染が増加しているというデータはなく、新規の感染については横ばいとなっている可能性がある」とかなり踏み込んだ見解を示しています。HIVに感染しているのかどうかは、検査を受けないと分からないので、実際に感染する人が増えていたとしても、その感染の現実に見合ったかたちで報告数が増えていくとは限りません。検査を受けに行く人が少なければ報告数は少ないままということもあり得るからです。
 この点も考慮して、確定値段階の委員長コメントでは、実際の感染が増えているのか、横ばいなのかといったことに関する言及は避け、あくまで報告数は横ばいとなっているとの指摘にとどめています。繰り返しになりますが、実際の感染が横ばいなのかどうかについて、速報値段階のコメントはこうになっていました。
 《経年傾向として、新規HIV感染が増加しているというデータはなく、新規の感染については横ばいとなっている可能性がある》
 確かに新規HIV感染が増加していることを示すデータはなかったのですが、新規感染が横ばいになったということを積極的に示すデータもまたない。感染動向を判断する上で、現状はかなり微妙な時期といえそうです。たとえば「横ばい」の認識が広がることで、感染の予防対策に関する楽観論が広がれば、それがかえって感染の拡大を促す要因になることもありうる。そうした負のフィードバック効果に対する懸念もあります。確定値に関する委員長コメントは、次のような指摘も行っています。
 《一方で、20012年においても、新規HIV感染者報告数は1002件、新規AIDS患者報告数は447件と、年間1500件程度の新規報告があり、また、新規AIDS患者報告数が3割を占める状況が続いている》
 かりに感染が横ばい傾向に移行しているとしても、それはあくまで年間1500件程度の報告があるというレベルでの横ばいです。年間報告数が数百件レベルだった2003年以前の状態にまで戻ったというわけではありません。
 また、新規エイズ患者報告数が3割を超えているということは、HIVに感染してからエイズを発症するまでの間に自らの感染の状態を確かめるために検査を受ける機会を得られなかった人が相当数いた(その類推からすれば、現在も相当数いる)ということでもあります。どうして検査を受ける機会を得られずに発症の時期を迎えることになったのか。その背景を検討し、HIVに感染したかもしれないと思っている人が自らの意思で早期に検査が受けやすくなるような条件を整えること、そして感染した人が適切な時期に安心して必要な治療を開始できるような環境を社会的にも広げて行くこと、この2点が引き続き大切であることは、これからも機会あるごとに、繰り返し、指摘していく必要がありそうです。

どうなるポスト2015(第58号 2013年6月)

 ミレニアム開発目標(MDGs)は2000年の国連ミレニアムサミットの宣言に基づいて設定された21世紀初頭の国際社会の共通目標です。途上国の開発を支援し、貧困をなくすことを目指し、以下の8項目が目標(ゴール)として掲げられました。

 目標1 極度の貧困と飢餓の撲滅
 目標2 普遍的な初等教育の達成
 目標3 ジェンダーの平等と女性の地位の向上
 目標4 幼児死亡率の引き下げ
 目標5 妊産婦の健康状態の改善
 目標6 HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病のまん延防止
 目標7 環境の持続可能性の確保
 目標8 開発のグローバル・パートナーシップの構築

 21世紀のスタート段階では、アフリカを中心とする途上国のエイズの流行は国際社会が協力して取り組むべき緊急課題として注目され、対策の必要性が強く指摘されていました。このため目標6にはHIV/エイズを中心にした感染症対策が掲げられ、他の7つの目標もすべて、エイズ対策を抜きにしては語れないと言われたほどです。
 この大きな流れを生み出し、国際社会に対する注意喚起のきっかけになったのが実は2000年7月の九州沖縄サミットだった。このことは日本としても大いに誇りを持っていいでしょう。2001年には国連エイズ特別総会がニューヨークで開かれ、2002年には世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)が創設されるなど、国連も世界の国々も本腰を入れて対策に取り組んだことから、MDGsの8つの目標の中でも目標6は高い成果を上げてきました。目標6はMDGsの中でも最も大きな成果をあげた分野として評価されることもしばしばあります。
 医学研究の成果として治療法が進歩し、その成果を生かすべく国際社会が治療の普及に力を入れた。このため、途上国にも希望が生まれ、波及効果として、それまで地道な努力を続けてきた予防対策にも勢いがついた。HIVに感染した人や感染の高いリスクにさらされている人への偏見や差別を取り除き、安心して生活できる社会が実現しなければ検査も治療も受けられない。HIVの流行により大きな打撃を受けている人たちへの支援はHIVの感染予防対策にも不可欠である。このことも少しずつ理解されるようになっていった・・・。そうしたもろもろの条件が積み重なって大きな成果につながったといえるでしょう。
 国連の推計では2011年の年間の新規HIV感染者数は2001年当時より20%も減り、エイズによる年間死者数は2005年当時と比べて24%も減少したそうです。
 もちろん、これは大変なことなのですが、それでもまだ、世界のエイズの流行は深刻です。減少傾向が見えてきたとはいえ、年間の新規感染者は250万人、死者は170万人と推計されています。これからさらに「流行を克服した」と言える段階まで持ち込むにはどうしたらいいのか、その道筋もある程度、見えてはきましたが、簡単に実現できるわけではありません。いまこそ対策に力を入れるまさに正念場であるということは、日本でエイズ対策にかかわっている方たちもひしひしと感じているのではないでしょうか。
 しかし、人間の世の中というのは悲しいもので、がんばって成果があがればあがったで、ついつい油断したくなったり、もうエイズ対策はほどほどにしておけばいいんじゃないのといった意見に同調したくなるような雰囲気が広がってきたりということもあります。
 国連の潘基文事務総長は5月31日、『新たな世界のパートナーシップ:持続的開発による貧困の根絶と経済変革』という報告書を発表しました。ミレニアム開発目標は2015年が達成年として設定されているので、目標が達成されてもされなくても、MDGsはそこでいったん終わりになります。その後はどうなるの・・・ということで、国連が世界の指導者12人で構成される委員会にポスト2015の新たな目標設定に向けた検討を要請し、その委員会がまとめたのが今回の報告書です。
 国連合同エイズ計画(UNAIDS)のサイトに掲載された報告書の紹介記事、および報告書で示された5つの柱と12項目の暫定目標を日本語に仮訳してHATプロジェクトのブログに載せました。関心がある方はご覧ください。

 《国連が報告書でポスト2015の開発アジェンダ案を提示》
http://asajp.at.webry.info/201306/article_3.html
 《ポスト2015 五つの柱と12の暫定目標(ゴール)》
http://asajp.at.webry.info/201306/article_4.html
 12のゴールはあくまで暫定的に示されたもので、これから1年半かけて議論を重ね、改善をはかっていくようですが、大枠はほぼ決まったということでしょう。HATプロジェクトのブログはこの点を次のように指摘しています。
 《12の課題を項目として手短に表現すると、貧困、ジェンダー、教育、保健、食糧、水・衛生、エネルギー、雇用・安定、資源管理、統治、平和、金融・・・ということになるでしょうか。保健はその中の一つという位置づけで、MDGsと比べると、ぐ~んと後退した感は否めません》
 エイズ対策はその保健の中のさらに一部です。流行は終わったわけでも、終わりの始まりが見えているわけでもさらさらなく、世界はいまも依然として深刻な流行に直面しているのだけれど、ポスト2015の中ではそれほど優先順位は高くない。この現実をきちんと見つめ、対策を後退させない持続的な努力が今後ますます求められていくことになりそうです。

20年後の夏も熱いぞ(第59号 2013年7月)

 第20回AIDS文化フォーラムin横浜が8月2日(金)から4日(日)までの3日間、かながわ県民センター(JR横浜駅西口徒歩5分)で開かれます。1994年8月に横浜で第10回国際エイズ会議が開かれてから、もう20年もたつのですね。この間、日本のエイズ対策はどうだったのかということを考えると・・・どうだったのでしょうか。
 横浜ではあの夏、第10回国際エイズ会議がパシフィコ横浜で開催され、世界中からエイズ研究やエイズ対策の専門家が集まってきました。その大会議と時期を合わせ、横浜市内の別会場で開かれたのが第1回AIDS文化フォーラムです。
 国際エイズ会議に参加するには、決して安くはない登録料が必要です。もちろん、エイズ分野にかかわる人たちにとっては、それでもなお、出席する価値がある会議ではあるのですが、エイズの流行はそうした専門家たちだけが関心を持っていれば、それで対応できるというものではありません。
 何とかもっと多くの人が参加できる枠組みを作ろうということで、AIDSをテーマにした文化フォーラムというコンセプトが生まれました。発案者は当時、エイズアクションというグループの事務局長だった南定四郎さんです。「文化」の2文字が入っている。この点が重要ですね。エイズは医療分野だけで対応できるものではない。流行がもたらす大きな影響を考えれば、もっと視野を広げて考える必要がある。南さんはおそらく、そう考えたのだと思います。
 エイズアクションは東京が活動の拠点だったので、南さんは会議の1年以上前から東京と横浜を行ったり来たりして、登録料を払わなくても、誰でも参加できる文化フォーラム開催の意義をさまざまな人に説明しています。最初のうちは反応もあまり芳しくなかったようで、なかなか理解者、賛同者が得られなかった・・・というか、趣旨に理解や賛同はしても、一緒にやりましょうという人はなかなかでてきませんでした。
 横浜YMCAの長澤勲さんと南さんが出会ったのは、そんな時期だったようですね。長澤さんが「それは大切だ。やりましょう」といってくれたことで、事態は大きく動くことになりました・・・20年もの時間が経過すると、こうした話は神話というか、伝説というか、どこまでが本当なのかよく分からなくなってしまう側面もあります。そういう時には、ご本人にお聞きするのが一番ですね。
 20回の節目を迎えた今年のフォーラムでは、初日の2日午前10時から、そのまたとない機会が実現します。開会式で《HIV/AIDS これまでの20年、これからの20年 何が変わり、何が変わっていないのか》というセッションが予定されているからです。まずはプログラムをご覧いただきましょう。
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/abf2013.htm
 初回を知る人たち(肩書は当時)として以下の4人の方がお話しをされます。

 発案者:南定四郎さん(エイズアクション)
 初代事務局長:長澤勲さん(横浜YMCA)
 運営委員:岩室紳也さん(神奈川県秦野保健所)
 県担当者:岡島龍彦さん(神奈川県衛生部)

 楽しみですね。おそらくはその初回を知る人たちも、AIDS文化フォーラムがまさか20年も続くイベントになるとは当時、思っていなかったのではないでしょうか。もちろん、その功績は初回だけでなく、20回のフォーラムを支えてきた代々の人たち、そして真夏の猛暑の中を全国各地から参加したたくさんの人たちにも等しくあります。続けるということは大切ですね。
 簡単に20年というけれど、並大抵のことではありません。初回の苦労話とあわせ、この間の良かったこと、残念だったこと、いろいろなお話が、客席も含め、それぞれの当事者から聞けるといいですね。開会式のセッションだけではとてもすべてを語り尽くせないでしょうから、今年は期間中、折に触れて「あの時はこうだった」「いや、こうでしょう」といった話があちらこちらで盛り上がり、それがまたこれからの20年を考える指針になる。そんな世代間対話の場になるかもしれません。しつこいようだけど、ますます楽しみです。
 それにしてもこの20年、何が変わり、何が変わっていないのか。議論は尽きませんね、きっと。