その13(2012年12月~2013年3月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その13(TOP-HAT Newsから)

 すいません。掲載の順番を間違えました。前回の『その12』に(第51号 2012年11月)として掲載した《◎「エイズから自由な世代」とは》は、実は(第52号 2012年12月)でした。すでに『その12』からは《◎「エイズから自由な世代」とは》を削除し、《◎エイズ学会の会場から》(第51号 2012年11月)に差し替えました。お詫びして訂正します。

「エイズから自由な世代」とは(第52号 2012年12月)

 世界エイズデーを2日後に控えた11月29日、米国のヒラリー・クリントン国務長官がワシントンDCで演説を行い、AIDS Free Generation(エイズから自由な世代)を実現するための「青写真」を発表しました。

 《PEPFAR Blueprint: Creating an AIDS-free Generation》
http://www.pepfar.gov/documents/organization/201386.pdf

 64ページもあるレポートなのでとても読み切れませんが、ひと言で説明すると《米国政府はどのようにして「エイズから自由な世代」の実現を助けるのかについてのロードマップ(行程表)》ということです。蛇足ながら付け加えると、PEPFARは米国大統領緊急エイズ救済計画。米国の国際保健戦略の重要な柱となっているプログラムですね。

 同じ日にオバマ大統領も声明を発表し、《私たちはこの病との闘いに大きな成果を上げ、エイズから自由な世代の実現も視野に入るようになりました》と述べるとともに、当面の成果に満足することなく、治療の普及などにさらに力を入れていく姿勢を示しました。大統領声明は、コミュニティアクション2012のサイトで日本語仮訳を見ることができます。
http://www.ca-aids.jp/features/52_obama.html

 ところで、AIDS Free Generation(エイズから自由な世代)とは何か。少しおさらいしておきましょう。

 先ほどの「青写真」のファクトシートによると、《エイズから自由な世代》は昨年11月8日、クリントン国務長官が米国のエイズ対策について演説した際に重要な政策目標として初めて登場しました。要約すると、次のような状態の実現を目指しています。

 (1)すべての赤ちゃんがHIVに感染することなく生まれ、
 (2)さまざまな予防手段により10代や成人してからも現在よりはるかに感染のリスクが低く、
 (3)HIVに感染したとしても、自らのエイズ発症と他の人への感染を防ぐことができるよう治療へのアクセスが得られる。

 つまり、HIVに感染している人が一人もいない世界にしようといった無茶苦茶を言っているわけではないようですね。TOP-HAT Newsでもこれまで「エイズのない世代」といった訳を使ってきましたが、「エイズから自由な世代」に変更します。

 ・・・ということで、日本の現状についても考えてみましょう。「エイズから自由な世代」の観点から米国(あるいは途上国)の状況と比較して考えてみると、以下のようなことが言えそうです。

 (1)ほぼ実現
 (2)いまのところ、(時系列でなく、各国との比較で見れば)かなり実現
 (3)自らのHIV感染を知ることができた人に関してはほぼ実現

 大きな流れを見れば、国内の新規HIV感染者・エイズ患者報告は依然、増加の傾向が続いています。その意味では、「ほぼ実現、ああ、よかった」と喜んでいられる状態では決してありませんが、「先進国で唯一、患者も感染者も増え続けている国」みたいな言い方も適切とはいえません。逆に米国をはじめとする諸外国から見れば、日本の現状はうらやましい限りでしょうね。ただし、治療へのアクセスは「自らのHIV感染を知ることができた人に関しては」という前提条件がつきます。

 「そうでしょ、だからね・・・」といった調子で、困った人たちが変な結論を引き出すと話がまた、おかしな方向に進んでしまうかもしれませんね。実現したというよりもむしろ、過去四半世紀にわたって数々の失敗がありながらも、何とかかんとかこうした状態を維持してくることができたという方が現実に近いかもしれません。それが可能だったのはどうしてなのか。保健分野における社会基盤が整っていたこと、行政でもなく、医療でもない分野においても、予防と支援の両立を基本に据えた対策を支える希有な人たちが(希有ではあるけれど、しっかりと)存在してきたことが要因としては考えられます。

 そうした条件は日本にいるとけっこう、当たり前に存在しているもののように思えてきますが、国外に出ると、あまり当たり前ではないこともあります。明日はともかくとして何年か先にはどうなのか、最近は日本国内においてさえ少々、心細くなってきます。現状の問題点と近未来の課題にきちんと想像力をはたらかせながら、あまり元気の出ない現実にどう対応していくのか。これもまた、日本社会の中で心ならずも希有な存在であり続けているエイズ対策関係者にとっては、極めて困難かつ重要な使命というべきではないでしょうか。

新エイズ予防指針1年(第53号 2013年1月)

 わが国のエイズ対策は感染症法に基づき、厚生労働大臣が告示するエイズ予防指針(後天性免疫不全症候群関する特定感染症予防指針)に沿って進められます。1994年4月に旧伝染病予防法・性病予防法・エイズ予防法の3法を廃止、統合して施行された感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)は、その名称でもあきらかなように、「予防」と「患者に対する医療」の両方に目配りができていないと感染症対策は成り立ちませんよということが基本理念とされています。

 その感染症法の施行から半年後に告示された予防指針もまた、HIV感染の予防とHIV医療の提供体制、およびHIV陽性者やHIV感染の高いリスクにさらされている人たちの支援の重要性が等しく強調されたものになっています。ただし、動いている流行に対しては、柔軟かつ臨機応変に対応する必要があるので、指針はほぼ5年に1回、見直しが行われることになっており、2005年に行われた最初の見直し作業を経て、翌2006年には第1次の改正が行われました。

 そして、2011年には2回目の見直し作業がほぼ1年がかりで進められ、昨年1月19日に第2次改正予防指針が告示されています。これが現行のエイズ予防指針ですね。つまり、現在は新しい予防指針のもとで1年が経過したところです。新指針に盛り込まれた対策を具体化させていくための助走期間がこの1年だったとすれば、今年、来年あたりはホップ、ステップの時期ということになります。

 当メルマガでは厚生労働省のエイズ予防指針作業班が見直し作業を進めていた2011年当時から何度か紹介してきましたが、作業班のメンバーには、わが国のエイズ対策について現場の事情も含めて熟知されている研究者、医師、NPO関係者、HIV陽性者団体の代表といった人たちも加わっていました。そうした専門家による議論の中で最も強調されていたのは、「指針を絵に描いた餅にしてはいけない」ということでした。

 これまでのエイズ予防指針も方向性は間違っていなかったのだが、実施体制が伴わなかったため、必要性が指摘されていたのに結局、実現できなかったことが多かった。新しい指針のもとでさらに5年が経過したときにまた、「ああ、やっぱり絵に描いた餅ですね」ということになってしまってはいけない。作業班の専門家の間には、そうした共通認識があったように思います。

 先ほども書いたように、わが国のHIV感染の流行は、緩やかなかたちではあるが、いまも拡大を続けているとみられています。ただし、世界のHIV/エイズの流行の現状から判断すると、実はHIV感染の拡大を防ぐことに最も成功している国(少なくともいまのところは、そのうちのひとつ)でもあり、国連合同エイズ計画(UNAIDS)のミシェル・シディベ事務局長などは、2010年9月2日に東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見を行った際、UNAIDSが提唱する「3つのゼロ」(HIV新規感染ゼロ、エイズ関連の死亡ゼロ、HIV/エイズにまつわる差別ゼロ)の実現に最も近い国があるとしたら、それは日本である!!と強調していたほどです。

 確かに医療基盤は整っているし、予防情報の提供環境も他国との比較で言えばかなりグレードが高い。エイズ対策に取り組むNGO/NPOの活動も流行の現状を考えれば、他の国よりかなり充実しているということができます。自治体など行政レベルにおいても、熱心に取り組んでいる担当者が対策を下支えして成果を上げているところはあるし、さまざまな制約から十分な対応がとれていない自治体でも、何とかしなければと奮闘している担当者は少なくありません。

 ただし、それでも「エイズの終わり」はなかなか来ません。HIV/エイズ対策が難しいのはここからです。日本が何とかかんとか維持してきた低流行の状況をいかに持続的に保っていけるか。さらに一歩進んで流行の拡大を抑え、縮小に転じていくことができるのか。それにはいま、どのような課題に対応しなければならないのか。第2次改正エイズ予防指針には一応、その処方箋も書かれています。それがどんなものなのかは、昨年7月に発行されたエイズ予防財団編『新エイズ予防指針と私たち』に比較的、分かりやすくまとめられています。
http://www.ca-aids.jp/features/27_shinaidsyoboushishin.html

 また、新指針の告示と同じ2012年1月19日付で厚生労働省から各都道府県、保健所設置市、特別区にあてて出された《後天性免疫不全症候群関する特定感染症予防指針の運用について》も参考になるかもしれません。
http://www.acc.go.jp/information/images/0119_1_H240119.pdf

 日本のエイズ対策はいかにだめかみたいな話をするのはあんまりだとしても、現状は「エイズ? もう終わったんでしょう」などといえる状態では到底ありません。むしろ、流行の波が遅れて伝わってきた地域である東アジアの文脈で考えると、日本もまた、これからがエイズ対策の正念場を迎える国であると考えておかなければならないでしょう。ますます息の長い対応が必要になります。

レスリングとエイズ対策の共通点(第54号 2013年2月)

 2020年の夏季五輪の競技からレスリングが外れそうだというニュースは世界をあっといわせたようですね。古代からレスリングは五輪に欠かすことのできない競技だと思っていたら、テコンドーや近代五種などを押しのけて、2020年五輪から外れる候補No.1になってしまいました。

 国際オリンピック委員会(IOC)は五輪の巨大化に歯止めをかけるため、東京も開催都市に立候補している2020年五輪では、実施競技を28競技に抑える方針です。昨年のロンドン五輪では26競技でしたが、2016年のリオ五輪から7人制ラグビーとゴルフが加わるので、そのままだともう28競技で打ち止めになってしまいます。それでは復帰を望む野球・ソフトボールや様々な新しい競技の入る余地がなくなってしまうので、ロンドンの26競技のうちどれか1競技を削り、新設1枠を確保しようというわけです。

 細かい経緯は省くとして、IOC理事会で投票を行った結果、レスリングに外れる競技候補の白羽の矢が立ちました。まだ、新設1枠を野球・ソフトボールなどと競って復帰を果たすという道は残されているとはいえ、情勢は極めて厳しいようです。何か、良い知恵はないものか。レスリング関係者の奮闘には今後、大いに期待したいと思いますが、この窮状は、関係者がついつい油断してしまった結果という印象も免れません。

 少々、前置きが長くなりましたが、レスリングについて長々と説明してきたのは他でもない。国際的なエイズ対策もまた、似たような厳しい現実に直面している。このことを報告したかったからです。

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)は1月から『VOTE TO END AIDS』というキャンペーンを展開しています。「エイズ終結に向けて投票を」というわけですね。掛け声は威勢がいいのですが、いったいどんなキャンペーンかというと、これがまあ、なんともはや・・・。HATプロジェクトのブログにUNAIDSの呼びかけの日本語仮訳が掲載されているので、参考までにご覧ください。
http://asajp.at.webry.info/201302/article_4.html

 要は2015年のミレニアム開発目標(MDGs)終了後の新たな国際的開発目標である「ポスト2015」をめぐる議論の中で、どうもHIV/エイズ対策が抜け落ちてしまいそうな雲行きなので、何とかみんなの力で「エイズの終結」をポスト2015の優先課題の一つに押し込んでくださいという呼びかけです。HATプロジェクトの(解説)でも触れているように、後手に回ったというか、時すでに遅しの感は免れません。レスリング以上に「巻き返し」は困難そうです。

 考えて見れば2000年秋の国連ミレニアム総会でMDGsの策定に世界の首脳が合意した当時、HIV/エイズの流行は国際社会が緊急に対応すべき優先的課題としてとらえられていました。総会直前の2000年7月には南アフリカのダーバンで第13回国際エイズ会議が開かれ、日本が議長国だった九州沖縄サミットではG8首脳が感染症対策の新たな追加的資金の必要性に合意しています。翌2001年には国連エイズ特別総会が開かれました。

 そうした時期を経て、この10年で世界のHIV/エイズ対策はかなり大きな成果をあげてきました。まだ、道半ばではありますが、その努力は大いに評価されるべきでしょう。ただし、悩み多き21世紀の世界の中でHIV/エイズ対策が常に世界的課題のセンターステージに位置づけられるわけではないということも認識しておく必要があります。一方で、鳴り物入りの注目課題ではなくなった感のある現在でも、問題の深刻さはいささかも減じられているわけではない。このこともあわせて認識しておかなければなりません。

 なんとか優先課題に押し込もうという努力を否定するわけではありませんが、現状を冷静に見つめれば、何ものにも優先してこれをやろうといわれるような時期を脱したことは、世界のエイズ対策の誇りでもあります。その10年を経て、今度は鳴り物抜きでも、静かに着実に必要なことを続けていく。それができるかどうか。これこそがいま、エイズ対策に取り組む世界中の人たちに問われているのではないか。幸か不幸か、いつまでたっても寒波が厳しいこの冬は、そのことがひときわ強く、ひしひしと感じられてきます。

第2回野口英世アフリカ賞にピオット、コウティーニョ両博士(第55号 2013年3月)

 黄熱病の研究などで知られる野口英世博士の功績をたたえ、5年ごとのアフリカ開発会議(TICAD)開催に合わせて表彰される「野口英世アフリカ賞」の第2回受賞者にベルギー国籍のピーター・ピオット博士(ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院学長)とウガンダ国籍のアレックス・コウティーニョ博士(マケレレ大学感染症研究所所長)の二人が選ばれました。第5回アフリカ開発会議開催中の6月1日に横浜で授賞式が行われる予定です。野口英世アフリカ賞、および今回の受賞者については内閣府のサイトに詳しい説明があるので、あわせてご覧ください。
http://www.cao.go.jp/noguchisho/index.html

 お二人はアフリカのエイズ対策に大きな貢献を果たしてこられました。その実績を考えれば文句なしの受賞でしょう。最近は、抗レトロウイルス治療の普及で、HIV/エイズの流行の克服に希望が出てきたといった見通しがしばしば語られています。もちろん、希望を持つことは大切です。まだまだ長い道のりですが、その希望の実現に向けて、治療や予防の研究に一層の努力を傾けることも重要です。ただし、長期的展望としての希望を目先の成果と混同し、エイズの流行はもう克服できるんでしょ、対策もほどほどでいいんじゃないの、といった根拠の薄弱な楽観論が広がっていくようだと、ようやく生まれてきた希望すら失われてしまいます。

 そのあたりの微妙な現実を考えれば、この時期に、エイズ対策分野の代表的研究者二人が、5年に一度の野口英世アフリカ賞受賞者となったことは極めて大きな意味があると考えるべきでしょう。日本政府としても、エイズとの闘いには継続して、しっかりと取り組んでいきたい。そうした意思を内外に示した人選という受け止め方もできるからです。受賞を大いに歓迎し、選ばれたお二人はもちろん、選んだ側の戦略眼についてもこの際、評価しておきたいと思います。

 野口英世アフリカ賞は2008年に創設され、第4回アフリカ開発会議初日の同年5月28日に第1回授賞式が行われています。受賞者はケニア国家エイズ対策委員会の委員長で、女性と子供の保健と福祉の向上に長年、取り組んでこられたミリアム・ウェレ博士、およびマラリアをはじめとする感染症研究に大きな成果を上げてこられたロンドン大学衛生熱帯医学校教授、ブライアン・グリーンウッド博士でした。

 日本政府の主導で5年ごとに開催されるアフリカ開発会議にあわせて授賞式が行われるということは当然、5年に一度しか受賞者が選ばれないということでもあります。オリンピックだって4年に一度ですから、5年は長いですね。北京五輪のマラソンで優勝したのは誰だったか。なかなか思い出せませんね。したがって、まだ今回が2度目となる野口英世アフリカ賞の存在になじみが薄いのは致し方ない面もあるのですが、日本の国際貢献という観点からも極めて意義深い賞です。みんなで盛り上げていきましょう。

 今回の受賞者の一人、ピオット博士は1995年から2008年まで国連合同エイズ計画(UNAIDS)の事務局長として世界のエイズ対策の牽引役をつとめてきました。事務局長就任前には、国際エイズ学会(IAS)の理事長でもありました。

 このため、1994年の第10回国際エイズ会議(横浜)や2005年の第7回アジア太平洋地域エイズ国際会議(神戸)の準備などを通じて、わが国のエイズ対策関係者の間にも親しい友人がたくさんできたようです。昨年11月には慶應義塾大学日吉キャンパスで開かれた第26回日エイズ学会学術集会・総会に参加し、全体会議でこの30年余のエイズ対策を総括する貴重な講演を行っています。その内容はTOP-HAT News第51号(2012年11月)でも紹介しましたので、バックナンバーでご覧ください。
http://asajp.at.webry.info/201211/article_5.html