その19(2015年1月~2015年6月)

「はじめに」で綴るエイズ対策史

その19(TOP-HAT Newsから)

 2015年上半期の6本です。UNAIDS初代事務局長、ピーター・ピオット博士の回想録『ノータイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治』の日本語版が刊行され、4月に東京で出版記念セミナーが開かれました。「エイズはもういいだろうで、本当にいいのか」。それが来日したピオット博士のメッセージはでした。もちろん、いいわけはないのだけど・・・。あのころは想定されていなかったコロナの流行を経験し、エイズ対策の教訓から学ぶべきことはますます増えています。もちろん、エイズの流行も終わってなどいません。

『保健医療従事者のHIV職業感染 米国1985-2013』 第77号(2015年1月)

 保健医療従事者の針刺し事故など、業務中にHIVに感染する「職業上の感染」は実際にどのくらいの頻度で起きているのか。米国の疾病予防管理センター(CDC)が毎週発行している死亡疾病週報(MMWR)の2015年1月9日号には「極めてまれである」とする調査統計が紹介されています。
 米国内で1985年から 2013年までの29年間に保健医療従事者(HCW)が業務中にHIVに曝露し、感染が確認された事例、および感染した可能性のある事例の報告件数をまとめたレポートです。
 そのレポート『現場からの報告:保健医療従事者のHIV職業感染 米国1985-2013』によると、「1985年から2013年までの間に、HCWに対するHIVの職業上の感染は58件の確認例と150件の可能性例がCDCに報告されている』と いうことです。確認例を「感染につながった曝露事例」別にみると、内訳は「経皮的な針刺しや切り傷」が49件、「粘膜への曝露」5件、「経皮的および粘膜への曝露の両方」2件、不明2件となっています。
 また、49件は「血液からの感染」、4件は「検査室で濃縮されたウイルスからの感染」、1件は「血液まじりの体液からの感染」、4件は「特定できない体液からの感染」で、血液からの感染が8割以上を占めています。
 注目すべきなのは、2000年以降の報告です。1999年の2件の報告があって以来、確認例は「2008年に検査技師がHIV培養時に注射針を深く刺してしまった事故」の1件のみしか報告されていません。推定で120万人ものHIV陽性者が生活しているという米国全体で、しかも直接、患者の治療やケアにあたる臨床の現場では、14年もの間に全米で1件も確認例はないのです。
 レポートには年次別の確認例報告数もグラフで示されていますが、それを見ると58件中54件は、1995年までの報告でした。1996年以降は1998年の1件、99年の2件、そして2008年の1件と大きく減少しています。
 保健医療機関における職業上のHIV感染を防止するため、CDCは1987年に「ユニバーサルプリコーション(普遍的予防策)」の採用を勧告しています。ひと言で説明すれば、治療や検査の際に扱う血液には常に何らかの病原体が含まれている可能性があるという前提ですべての血液を扱いましょうという考え方です。1995年以降はそれをさらに発展させて「スタンダードプリコーション(標準予防策)」が広く採用されるようになりました。
 また1996年には、抗レトロウイルス剤を感染予防目的で使用する曝露後予防策(PEP)が医療現場で推奨されています。
 つまり、米国では (1)保健医療機関で血液などを扱う際の標準予防策の浸透、(2)HIVに曝露した可能性がある場合の曝露後予防策(PEP)の採用、という2つの対策により、1995年を境に職業上のHIV感染の発生は激減しました。さらに最近は、(3)抗レトロウイルス治療の普及ならびに早期開始により、治療を受けているHIV陽性者の体内のウイルス量が大きく減少している、という新たな条件も加わり、感染リスクは限りなくゼロに近づいています。
 わが国よりもはるかにHIV陽性率が高い米国でも、保健医療の現場における職業上のHIV感染は極めてまれにしか起きていません。
 もちろん、標準予防策を疎かにすることなく、HIVに限らず血液などからの病原体の曝露の機会を減らすことは現在でも大切です。また、注意していても起きるかもしれない曝露事例には、曝露後予防の適切な対応が不可欠です。
 ただし、そうした通常の業務遂行の中で、当然なすべきことがなされてさえいれば、保健医療現場で職業上のHIV感染が起きることはないと断言できるところまで予防策は進んでいます。つまり、どの診療科においても、医療機関でHIV陽性者の診療を拒否する根拠も理由もありません。この点はしつこいようですが、改めて強調しておきたいと思います。
 『現場からの報告:保健医療従事者のHIV職業感染 米国1985-2013』は日本語仮訳がHATプロジェクトのブログに掲載されています。
http://asajp.at.webry.info/201501/article_3.html
 年次別のグラフはMMWRの公式サイト(英文)で見ることができます。
http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm6353a4.htm?s_cid=mm6353a4_w

2 血液・体液曝露事故(針刺し事故)発生時の対応(国内の資料から)
 国内の保健医療関係者向けには、独立行政法人国立国際医療研究センターのエイズ治療・研究開発センター(ACC)の公式サイトに『血液・体液曝露事故(針刺し事故)発生時の対応』が掲載されています。最終更新は2014年10月1日です。冒頭の【要点】を紹介しておきましょう。
 【要点】
 ・適切な曝露後予防内服により、事故によるHIV感染リスクをほぼゼロにできる
 ・まず落ち着いて、曝露部位を大量の流水と石けん(眼球・粘膜への曝露の場合は大量の流水)で洗浄する
 ・予防内服の必要性を判断し、必要と判断されれば速やかに内服を開始する
 ・従来の「拡大レジメン」に相当する多剤併用が推奨される
 ・万一の事故発生に備え、院内の針刺し事故対策を整備しておくことが重要
 ・事故を起こした職員のプライバシーにも配慮する
 ・HIVのみでなくHBVやHCVも考慮して対応する
 詳しくはサイトをご覧下さい。
http://www.acc.go.jp/doctor/eventSupport.html
 また、東京都エイズ診療協力病院運営協議会編(東京都福祉保健局)の『HIV感染防止のための予防服用マニュアル』(平成26年7月改正版)もpdfでダウンロードできます。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/koho/kansen.files/manual.pdf

10代の若者に焦点 All In 第78号(2015年2月)

 世界の大きな流れとして、エイズ関連の死者数はほぼすべての年齢層で大きく減少していく傾向にあるのに、10代(10~19歳)だけは例外で、減っていない。国連合同エイズ計画(UNAIDS)と国連児童基金(UNICEF)が関係国際機関や若者グループと協力して開始したHIV予防の若者向けキャンペーン『All In』はこう指摘しています。UNAIDSの推計によると、2013年にエイズで死亡した10代の若者は世界全体で12万人でした。平均すると毎日300人以上が亡くなっていることになります。若者の死亡原因としては交通事故に次いで2番目に多く、アフリカでは死因のトップを占めているということです。
 英和辞典でall inを引いてみました。口語で「疲れ切った」・・・おっと。あまりにも長く続いているので疲れ切ってしまった・・・というわけではもちろんありません。もっと素直に解釈しましょう。すべての人(all)が入る(in)。つまり若者も、政治の指導者も、あらゆる人が参加して取り組まないと解決できない問題です。とりわけ、若者自身の参加が重要なので「行動のためのプラットフォーム」として新たなキャンペーンがスタートしたということです。2月17日にケニアのナイロビで行われた発足式には、UNAIDSとUNICEFのほか、国連人口基金(UNFPA)、世界保健機関(WHO)、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)、そしてPACTやY+といった国際的な若者のHIV陽性者グループ、エイズ対策グループの代表が参加し、ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領がプラットフォームの創設を宣言しました。かなり大がかりなキャンペーンですね。
 All In発足式のプレスレリース、およびアンソニー・レイクUNICEF事務局長、ミシェル・シディベUNAIDS事務局長連名のOP-ED(論評)記事がUNAIDSの公式サイトに紹介されています。日本語仮訳を作成し、HATプロジェクトのブログに掲載してあるので、参考までにご覧いただければ幸いです。
 《エイズ流行終結に向けて若者に注目 All In 世界の指導者が結集》(プレスリリース)
http://asajp.at.webry.info/201502/article_3.html
 《エイズ流行の終結に向けて10代の少年少女に焦点を当てよう All In》(OP-ED)
http://asajp.at.webry.info/201502/article_4.html
 プレスリリースによると、All Inが焦点を当てるのは以下の4点です。
 ・若者自らが参加、行動、成長し、変革の主体になること
 ・計画策定のためのデータ収集体制を改善すること
 ・若者が必要なHIVサービスを利用できる革新的手段を開発すること
 ・若者のHIV対策を政策課題としてきちんと位置づけ、具体的な活動予算をつけること
 UNAIDSの推計では、2013年の世界の新規HIV感染者210万人のうち25万人は15-19歳の若者で、全体の約12%に相当します。男女比は1対2で少女の方が多く、OP-EDは《少女は性的な暴行を含む暴力や強制的な結婚、人身売買などの被害を受けやすく、社会的に弱い立場に置かれているため、HIV感染のリスクも高くなっている》と指摘しています。また、日本で個別施策層として位置づけられているMSM(男性とセックスをする男性)、薬物使用者、セックスワーカーの若者に対する支援についても、重要性を強調しています。
 《10代でHIVに感染する若者にはまた、ゲイまたはバイセクシャルの少年、薬物を使用していたり、性を売っていたりする少年少女も多い。その多くが検査を 受けていないし、治療も受けていない。情報を得ようとしたり、予防プログラムに参加したり、検査を受けたりしたときの周囲の反応が怖いからだ》
 わが国ではどうでしょうか。エイズ動向委員会の報告でみると、たとえば2012年は新規HIV感染者17人・エイズ患者1人、2013年は新規HIV感染者10人・エイズ患者1人となっており、報告自体は極めて少数のまま推移しています。ただし、それをもって10代の少年少女のHIV感染のリスクは低いと即断することはできません。《情報を得ようとしたり、予防プログラムに参加したり、検査を受けたりしたときの周囲の反応が怖い》という心理は日本の若者が置かれている社会的な文脈の中でも無視できないし、予防プログラムや検査、治療の機会の提供が遅れてしまう要因として次のようなOP-EDの指摘も重視しておく必要があります。
 《小児科の対象としては年齢が高く、成人向けの保健サービスの対象としては若すぎるので、10代の多くが最も気を配らなければならない時期に、その対象から外れてしまう》
 プレスリリースには『2030年までに若者のエイズ流行を終結させ、流行全体としてもエイズを公衆衛生の脅威ではなくす』という大目標の実現に向け、2020年までに《(10代の)HIV新規感染を少なくとも75%減らし、エイズ関連の死亡を65%減らす》という数値目標が示されています。そのためにはどうしたらいいのか。All Inのウェブサイト(英語版)もあわせてご覧下さい。ヒントが得られるかもしれません。
http://allintoendadolescentaids.org/

今年12月に東京でグローバルファンド増資準備会合 第79号(2015年3月)

 2017年から19年までの3年間の世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)への資金拠出を話し合う増資準備会合が今年12月17日、東京で開かれることになりました。日本政府が主催する会合で、安倍晋三首相が3月16日、国連大学で開かれた国連創設70周年記念シンポジウムのスピーチで発表しました。
 グローバルファンドは、世界の三大感染症であるエイズ、結核、マラリアの対策資金を確保するため、2002年1月に発足しました。創設にいたる経過をたどると、その1年半前の2000年7月、九州沖縄サミットで議長国・日本が各国に対し、途上国の感染症対策には新たな追加的資金が必要なことを訴え、G8首脳の賛同を得ています。もちろん他にも、当時のコフィ・アナン国連事務総長の積極的な提案や翌2001年6月の国連エイズ特別総会における各国の議論などさまざまな動きが基金創設の大きな流れを形成していくのですが、振り返って見ればその出発点は九州沖縄サミットだったということで、日本はグローバルファンドの生みの親の一人として高く評価されています。
 ただし、こうした基金は、創設時こそ大きな注目を集めるものの、必要な資金をその後も持続的に確保していくのは簡単なことではありません。このため、グローバルファンドに関しては3年ごとに資金拠出国が集まり、増資会合を開催してその後3年間の各国の資金拠出額を約束するようになっています。安倍首相が国連創設70周年記念シンポジウムで発表した増資準備会合は、その増資会合に向けて、さらに1年前に開催する会合です。グローバルファンド日本委員会のウェブサイトに詳しい説明があるのでご関心がお有りの方はご覧下さい。
http://fgfj.jcie.or.jp/topics/2015-03-16_replenishment
 《12月の増資準備会合には、世界各国からドナー国政府代表、実施国(支援を受け入れる国)の政府代表、NGO、企業、民間財団、国際機関などが一堂に会し、感染症対策の資金ニーズや調達の目標、エイズ、結核、マラリアの流行の終息に向けての戦略などを議論する予定です。2016年の第5次増資に向けて重要な一里塚となることが期待されます》

 ひとことで言えば、2017~19年の資金拠出をめぐる交渉の幕がここで開く。その幕開けの会合です。1年後の増資会合はまだ開催地も開催日程も決まっていませんが、そこが1年間の交渉のゴールで、各国が具体的に次の3年間に拠出する金額を発表します。準備会合は本会合に比べれば、やや地味ですが、実質的な重要度は極めて高い会合です。
 増資会合や増資準備会合は、グローバルファンド自身が主催するのではなく、毎回、資金拠出国のいずれかがホストとなります。いままでは増資会合、増資準備会合とも欧米で開催されてきました。つまり、東京会合はアジアで初の増資関連会合ということになります。主催国としては当然、「うちもこれぐらいは考えていますよ」とある程度、腹をくくって臨まなければ主催などできません。安倍首相の発表はその意味で、日本が世界の平和に積極的に貢献するための意欲を示すものといえるしょう。
 HIV/エイズ分野では1994年第10回国際エイズ会議(横浜)、2005年第7回アジア太平洋地域エイズ国際会議(神戸)の後、国内では大きな国際的会議招致の動きすらなく、内向き傾向が少々、気になります。日本エイズ学会などを通じ、増資準備会合の開催を国内のHIV/エイズ対策にも生かし、国際貢献と国内対策の充実をうまくつなげていけるような相乗効果も期待したいところです。

Tシャツで「AIDS is NOT OVER」 第80号(2015年4月)

 ようやく暖かくなりましたね。4月25日(土)と26日(日)には、東京都渋谷区の代々木公園イベント広場&野外ステージで 東京レインボープライド2015パレード&フェスタが開かれました。《LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)が、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、前向きに生きていくことができる社会の実現》を目指すイベントです。フェスタは2日間でしたが、パレードは26日午後、代々木公園を出て表参道から原宿を回って再び代々木公園に戻るコースで行われています。
 昨年は4月27日(日)に実施されたパレードで「AIDS is NOT OVER」のプラカードを掲げたLIVING TOGETHER計画のフロート(メッセージを伝えるトラック)が参加しました。日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの長谷川博史さんと安倍首相夫人、昭恵さんがフロートに乗り込み、文字通り「HIVに感染している人も、していない人も、もう一緒に生きている」というLIVING TOGETHERのメッセージを伝えたことは、国際的なニュースにもなったので、ご記憶の方も多いのではないかと思います。
 今年は残念ながらLIVING TOGETHER計画のフロートはありませんでした。トラックを華やかに飾り、メッセージを伝える媒体としての存在感を示していく。この準備はなかなか大変です。あくまで想像ですが、エイズ対策の重要性が指摘されながらも、社会的なHIV/エイズの流行に対する関心は低下していく中で、フロートの準備をする人的な余裕がなかなか確保できなかったのかもしれませんね。
 性的マイノリティに対する社会的な理解が大きく広がろうとしているのに、HIV/エイズに対する関心は逆に薄れつつある。そのような傾向がかりにあるとしたら、かつてサンフランシスコクロニクル紙の記者だったランディ・シルツが『そしてエイズは蔓延した』というベストセラーの冒頭部で華やかに描写した1980年代初頭のニューヨークやサンフランシスコのように、男性と性行為をする男性(MSM)の間でHIVの性感染が広がっていった状況とやや似通った雰囲気が、現在の東京に生まれつつあるのではないか・・・。そんな危惧も少し感じます。
 ただし、現在の世界には、35年に及ぶHIV/エイズの困難な流行と闘ってきた経験の蓄積があります。東京もまた、その苦しくもまた輝かしい蓄積の一翼を担ってきました。MSMのコミュニティ内部で自らHIV感染の拡大を抑える努力を続けてきた功績はエイズ対策史上、特筆すべき成果をあげています。時計の針が逆に戻るようなことはないでしょう。
 今年のパレードには、そうした期待を抱かせる心強い動きもありました。フロートは出せなかったけれど、「AIDS IS NOT OVER」「WE ARE ALREADY LIVING TOGETHER」とプリントされたTシャツを着てパレードに参加する人たちがたくさんいたからです。パレード前日の25日午後には、代々木公園野外ステージで『AIDS IS NOT OVER~あなたの隣のHIV』というシンポジウムが開かれ、ここでもTシャツの存在感は確かに発揮されていました。
 LIVING TOGETHER計画が今年のパレードに合わせて寄付付きTシャツを作り、フェスタ会場の特設ブースなどで、1枚2000円で販売した。その効果ですね。《Tシャツをご購入いたくと、1枚につき1000円が、NPO法人日本陽性者ネットワーク・ジャンププラスのスピーカー派遣プログラムのために活用されます》。その意気やよし!詳しくはAIDS is NOT OVERの公式Facebookをご覧ください。
https://www.facebook.com/pages/AIDS-is-NOT-OVER/619114934835358
 《このTシャツを着てパレードをご一緒に歩きましょう。もし、歩けなくても、このTシャツをご購入いただくことで、私たちのアクションに参加することができます》
 フロートとはまた、表現形式が異なり、大がかりなものではなかったけれど、存在感はありました。資金や人手の面で厳しい時期は、長い時間経過の中では不可避的に出てくるものです。そういうときには、発想で何とかカバーし、苦境をいなしていく。この柔軟さこそが、長期にわたって継続するエイズの流行に対応するための最も重要な条件というべきでしょう(・・・とわざわざ書かなければならないほど、日本のエイズの流行は厳しい事態に直面している。こういうときこそ、トレンドが顕在化する前に手を打っておく想像力が求められるということも併せて指摘しておきたいと思います)。

「エイズはもういい」のか~ピオット博士回想録セミナーから 第81号(2015年5月)

 第2回野口英世アフリカ賞の受賞者であるピーター・ピオット博士の回想録『ノータイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治』の出版記念セミナーの報告がグローバルファンド日本支援委員会の公式サイトに掲載されています。
http://fgfj.jcie.or.jp/
 1995年の国連合同エイズ計画(UNAIDS)創設時から2008年までUNAIDS事務局長を務めたピオット博士は、世界のエイズ対策の最大の功労者といえるでしょう。20世紀後半以降、世界は平均すると毎年1件は新たな感染症の流行を経験しています。ただし、その新興感染症の時代の中でも、パンデミック(世界的大流行)と呼ばれるレベルにまで感染が拡大し、いまなお流行が継続している新興感染症は1件しかありません。いうまでもなく、HIV/エイズの流行です。
 もちろん、世界史的な試練となったその流行に対し、人類は決して無力だったわけではありません。ピオット博士がUNAIDSの事務局長だった14年間に世界のHIV新規感染は年間ベースの推計を見ると、わずかずつではありますが継続的な減少傾向を示しています。治療の普及によりエイズ関連の年間死者数も2005年から減少へと転じています。
 これは素晴らしい成果というべきでしょう。その成果の牽引役だったピオット博士は4月17日に東京・三田の慶應義塾大学で行われた出版記念セミナーの第2部「日本の次世代リーダーはこの本から何を学んだか」の中で、次世代リーダーの1人である若き医師の質問に答え、次のように語っています。
 《最近、エイズは終わったかのような見方を耳にします。エイズはもういい、さあ次の課題だ、と。それは間違っています。いまだに毎年、200万人近くが新たに感染し、日本でも毎日4~5人が感染しているのです。私たちは引き続き努力しなければいけません》
 参考までに最近の推計を紹介しておきましょう。UNAIDSが発表した2014年世界エイズデー(12月1日)のファクトシートです。日本語仮訳はAPI-Net(エイズ予防情報ネット)に紹介されているので、そちらもあわせてご覧下さい。
http://api-net.jfap.or.jp/status/world.html#fact

2013年末現在の世界のHIV陽性者数 3500万人
流行開始以来のエイズ関連死亡者数 3900万人
   
2013年の年間新規HIV感染者数 210万人(2001年と比べると38%減)
2013年の年間エイズ関連死亡者数 150万人(2005年と比べると37.5%減)

 ピオット博士は年間の感染者数を「200万人近く」と表現しています。最近は治療の普及がHIV感染の予防にも効果があることが様々な国際調査から報告されており、しかも抗レトロウイルス治療を受けられる人の数は増加しているので、2014年も新規感染の減少傾向は続き年間ベースでは200万人を下回ることが期待されているのでしょうね。
 2001年は国連エイズ特別総会が開かれた年です。国際社会は以後、途上国における抗レトロウイルス治療の普及に力を入れ、2013年には1290万人が治療を受けられるようになっています。2003年当時は30万人程度でしたからこれは大変な努力の成果です。それでも治療が必要な人すべてに治療が行き渡るという「ユニバーサルアクセス」が実現しているわけではありません。治療の普及にはもっと資金が必要なことは確かですが、普及を妨げているのは経済的な要因だけではないということにも留意しておく必要があります。
 たとえば日本ではどうなのか。このあたりの課題については、セミナーで次世代リーダーの1人である日本HIV陽性者ネットワーク代表の高久陽介さんが言及されています。ぜひセミナー報告でお読みください。

気になる20代の新規HIV感染報告 第82号(2015年6月)

 2014年の年間新規HIV感染者・エイズ患者報告数の確定値が5月27日、厚生労働省エイズ動向委員会から発表されました。

 ・新規HIV感染者報告数 1091件(1075件) 過去3位
 ・新規エイズ患者報告数 455件(445件) 過去4位
 ・患者・感染者報告合計 1546件(1520件) 過去3位
 ()内は2月に発表されている速報値です。2014年は患者報告で10件、感染者報告で16件、合計すると26件、確定値の方が増えています。
 患者・感染者報告の合計は過去最多だった2013年の1590件に比べると、44件減。ただし、年間報告が1500件前後で、「高止まりのまま横ばい」という傾向は2007年以降8年連続で続いています。
 感染経路別では、男性の同性間の性感染が最も多く、新規HIV感染報告の約72%(789件)、新規エイズ患者報告の57%(258件)を占めています。また、今回の報告は、全体としては過去3位ですが、20代は349人で、国内のエイズ統計を取り始めた1985年以降で最多となっています。
 あくまで報告からの推測ですが、10代後半から20代にかけて、性に関する行動が活発になる年齢層の人たちに、HIVの性感染予防に関する情報があまり届いていないと考えておく必要がありそうです。同時に、どこで最も多く感染が起きているのかということを重視すれば、国内では感染症法のエイズ予防指針で「特別な配慮」が必要とされている「個別施策層」の中でもとくに、男性とセックスをする男性(MSM)に対策の焦点をあてるべきでしょう。

 参考までにエイズ予防指針で「個別施策層」とされているのは次のカテゴリーの人たちです。
 (1) 性に関する意思決定や行動選択に係る能力の形成過程にある青少年
 (2) 言語的障壁や文化的障壁のある外国人
 (3) 性的指向の側面で配慮の必要な男性間で性行為を行う者
 (4) 性風俗産業の従事者及び利用者
 (5) 静注薬物使用者を含む薬物乱用者
 5つの層はそれぞれ独立に存在しているわけではなく、重なっている部分もあります。つまり、感染報告の動向も合わせて考えれば、たとえば同性愛者である青少年層には、とくに性および性感染症に関する情報が安心して得られる環境を整えることが、現在のわが国のHIV/エイズ対策の重要な課題と言うべきでしょう。
 感染の最も高いリスクにさらされている人たちが、安心して、あるいは自らの意思で積極的に検査を受けてみようと思えるような雰囲気を醸成していく。遠回りのようでいてもそれがHIV感染の予防対策にとっては基本であり、最も有効な方法でもあります。HIV/エイズ対策の中で、予防と支援の両立が指摘されてきたのもそのためでした。
 報告が示唆する国内の感染動向を考えるなら、(1)HIV/エイズ対策は10代、20代で、男性と性行為をする男性でもある個別施策層の人たちに必要な情報を届けられるような施策を進めること、(2)そうした施策に対する支持を広く社会から得られるようなかたちで啓発の努力を続けること、つまり個別施策層と社会一般の両者を対象にした対策をバランス良く進めていく必要があります。
 実はそうした努力はすでに現場レベルで続けられており、だからこそ2000年代の中盤以降、わが国の新規HIV感染者・エイズ患者報告の急激な増加を抑え、何とか年間1500件前後で横ばいの状態が維持できている。現状はそう見ることもできます。HIVの感染が国内で再び拡大に転じる懸念があるとしたら、そうした実績に対する評価を踏まえつつ、これからの対策を考えていく必要がありそうです。
 エイズ動向委員会の報告は、API-Net(エイズ予防情報ネット)のウェブサイトで観ることができます。
http://api-net.jfap.or.jp/status/index.html